丁夫人の嘆き(曹操の後庭)雑記 三十 『 孫権の都、建業について』 呉から秣陵(まつりょう)へ 孫権(字は仲謀)の兄、孫策(字は伯符)が建安五(200)年に死んだとき、かれらの版図はただ、会稽、呉郡、丹楊、豫章、廬陵あるのみだった。しかもこの勢力圏は山深…
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