2012-10-01から1ヶ月間の記事一覧

丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 八十二

丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 八十二 曹洪から戦わぬ義旗の諸将の話を聞くと、揚州刺史陳温はあんぐりと口を開けたまま、ぽとりとその手から杯を取り落としてしまった。 「なに、天下の義旗が董卓怖さに、面付き合わせて酔いしれては口だけ戦わせておるとな。男…

PCが変だ! 不正アクセスされていた

PCが変だ! 不正アクセスされていた パソコンの調子が悪かった。ずっと悪かったので修理にだしたほうがいいかなと思っていた。 どんな具合かと言うと、 コメント承認制のブログではコメントできない。 コメントを書き込み投稿ボタンをクリックすれば、「タイ…

徐庶の母の墓

徐庶の母の墓 徐庶ほど経歴が曖昧で、そのくせに男臭くて魅力的な人物はいない。 三国志『蜀書』の諸葛亮(字は孔明)伝のなかにつけられた注、『魏略』でしか徐庶のことはわからないのだが、このような魅力的な男を世人は捨てておかない。様々な修飾が加わっ…

さんぽやさんの歌 一

さんぽやさんの歌 一 わたしが作った歌ではありませんよ。 きのしたみのるさんの歌です。 友人の知り合いです。友人が本をおくってくださったので、少しずつ載せて行こうとおもいます。 なにげない言葉で、 誰にでも書けそうでいて 本当は誰にでも容易に書け…

金運カレンダーの御利益?

金運カレンダーの御利益? 息子の新潟出張のおみやげは、宿泊先で頂戴した金運カレンダーなるものでした。黄色に金箔押しの日めくりタイプ。 たっぷりと金運の夢をふくらませてくれた頃の暦 http://blogs.yahoo.co.jp/flow_six_tamaehayashi/22062176.html …

丁夫人の嘆き(曹操の後庭)雑記 三十一 孫権の都、建業について 下

丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 三十一 孫権の都、建業について 下 孫権(182年生~252年四月没)は、劉備が公安から去ったあとに公安に拠る。魏の黄初二(221)年四月に劉備が蜀で皇帝の位につく。同じく四月に、孫権は公安から鄂(がく)に都を移し、鄂を武昌と改名し…