2015-01-01から1年間の記事一覧

妖(もののけ)の涙――小説玉璽物語 七

妖(もののけ)の涙――小説玉璽物語 七 袁紹の従兄弟に袁術という者がいた。任侠である。人好きがした。だが、袁紹を妬み、彼への闘争心むきだしだった。袁術は南陽(河南省南陽市)によっていた。南陽は大郡である、戸口は多く豊かな郡である。その袁術配下の武…

妖(もののけ)の涙――小説玉璽物語 六

妖(もののけ)の涙――小説玉璽物語 六 悪人が必要なときもあるのか――。玉座の精の言葉に心がざわついた。端正な顔とは裏腹の、小汚い行いをさらりと言ってのける。やはり妖物だ。妖物が本性を現した。彼が品のない音をたてて人を食らう様子を思い浮かべ、私は…

妖(もののけ)の涙――小説玉璽物語 五

妖(もののけ)の涙――小説玉璽物語 五 私の予感は当たった。なんと愚かな男だろう。けれどもこのような種類の男は多い。 王憲は不遜にも東宮を宿舎にした。城を制圧した指揮官は、まず府庫の封鎖を命じて帳簿につけさせ財宝を略奪から護らねばならない。潔癖な…

同窓会――私が投げ飛ばした男の子

同窓会――私が投げ飛ばした男の子 中学校の学年全体の同窓会があり、記念写真が届いた。怖い顔をしたIが背後霊のように私の横にへばりついている。すこし間をあけて、遠慮がちに。 三つの小学校が集まって一つの中学校です。私たちの学年は不登校生をいれて五…

妖(もののけ)の涙――小説 玉璽物語 4

妖(もののけ)の涙――小説 玉璽物語 4 炎がそこまで迫っているのに王莽は、天文郎に星を占わせていた。なんとお馬鹿な王莽。わが一族が王莽の血肉を求めて乱舞しているのが見えないのか。心を落ち着けて耳を澄ませば、「滅べ、滅べ」と騒ぐ声が聞こえたはず、…

妖(もののけ)の涙 ――小説 玉璽物語3

妖(もののけ)の涙―小説 玉璽物語3 ああ、あれはわが「し鳥」の一族が新の都、常安城のうえで亡国の歌をうたったときのことだった。常安という名前、いかにも王莽らしい。長安を「常に安らか」の意をこめて名を改めただけのこと。 思い出したわ。緑の陰でい…

妖(もののけ)の涙――小説 玉璽物語2

妖(もののけ)の涙―小説 玉璽物語 2 私の棲家だった玉座は灰になった。董卓という粗野な男が西からやってきて、洛陽宮に火を放ったからである。私の数少ない友人である玉座の精は、依り代を失って気力が萎えてしまった。廃墟にひとしい宮殿の穴蔵に身を横た…

妖(もののけ)の涙――小説 玉璽物語

妖(もののけ)の涙―小説 玉璽物語 私は妖(もののけ)である。人面鳥身、体の色は青と黄色。人はわが一族を、みみずくの姿をしていると言う。 私は、飛べばその国滅ぶと恐れられるじ鳥(じちょう)の精である。 わが一族は、地に充ち満ちた邪気と悲嘆から生まれ、…

伝国の玉璽(ぎょくじ)物語 三

伝国の玉璽(ぎょくじ)物語 三 漢室から王莽の新へ 王莽が漢を纂奪したとき、人を差し向けて、自分のおばにあたる漢の孝元太后(王政君)に、伝国の玉璽を求めた。このとき、王政君は大怒して玉璽を地上に投げつけた。そのため、伝国の玉璽の一角が欠けてしまっ…

伝国の玉璽(ぎょくじ)物語 二

伝国の玉璽(ぎょくじ)物語 二 伝国の玉璽物語一で説明がもれた戦国趙、戦国秦の君主たちを簡単であるが注釈をつけてみよう。 注*趙の恵文王 趙の恵文王(前308年生─前266年卒),また文王とも称した。嬴姓,趙氏,名は何。東周戦国時代の趙国の君主。趙の武…

伝国の玉璽(ぎょくじ)物語一

伝国の玉璽(ぎょくじ)物語一 伝国の玉璽は、伝国の璽、伝国宝と称され、中国歴代皇帝相伝の印璽である。秦の始皇帝の命を奉じてはじめて刻んだものである。 その形は、四角と丸がたで四寸、上の紐通しに五龍の像が彫られていて、印の正面には李斯(りし)が…

豪侠の代償

豪侠の代償 進士の崔涯、張祜(こ)は科挙の試験に落第したので江淮の地を遊びまわった。つねに酒を嗜み、当世の人物を侮謔(ぶぎゃく)した。あるときには酒の勢いで自らを豪侠と称した。この二人の好みは同じだったので、たがいにこれと甚だ気があった。崔は…

祟る魯粛

祟る魯粛 王伯陽の家は京口にあったが、宅の東に一つの冢(つか)があった。この冢は魯粛の墓だと言い伝えられていた。 伯陽の婦(つま)は郗鑒(ちかん)の兄の娘である。婦が亡くなったので伯陽は冢を平らに削ってそこに埋葬した。数日後、伯陽が昼間、役所で座…

好き者の墓に現れたもの

好き者の墓に現れたもの 呉国の胡邕(こよう)は好色だった。 妻、張氏を娶ったが彼女を憐れんで捨てなかった。のちに妻が亡くなった。そして、邕もまた亡くなった。家人は後園の中に殯(かりもがり)した。 三年後に埋葬したのであるが、塚の上に、いつも、寝床…

恋人たちの樹

恋人たちの樹 潘章はごく年若いころから姿かたちが美しかった。それゆえに、人々は競って彼を慕った。 楚国の王仲先は、その美貌の噂を聞くとじきじきに出向いて友となることを求めた。すると、章のほうでもこれを許した。 そして二人は同じ学校で学ぶことを…

丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 第一百十三回

丁夫人の嘆き(曹操の後庭)第一百十三回 《これまでのあらすじ》 雒陽を制圧した董卓は、少帝劉弁を廃して幼帝(献帝劉協)を即位させる。この暴挙に、袁紹を盟主に仰ぐ董卓討伐の義軍が起こった。義軍の意気たるや軒昂だが、内心は董卓を恐れて、勇ましく酒盛…

馮燕の侠気(おとこぎ)下

馮燕の侠気(おとこぎ)下 《男たちの見方》 馮燕は魏州出身の豪傑だ。爺さんも親父も名もない白民(へいみん)だ。だからといって燕という男の値打ちが下がるわけじゃない。そうじゃないか? 白民など人間扱いしない世の中、この世の中が腐っている。出世できる…

馮燕の侠気(おとこだて)上

馮燕の侠気(おとこだて) 唐の馮燕(ふうえん)という者は魏州の豪(おとこだて)だ。父祖は名もない庶民だ。 燕は若いころから任侠を気負っていた。もっぱら撃毬、闘鶏の戯れに明け暮れる日々だった。魏の市で財を争って殴りあう者がいた。燕はこれを聞くと…

道政坊の凶宅

道政坊の凶宅 貞元中(唐・德宗の元号785年~805年)、長安・道政里の十字街東に小さな宅(やしき)があった。毎日、この宅は怪異現象が起きて、ここに住む人は必ず大きな災いに見舞われた。 興慶宮の下の緑線で囲った区画が「道政里」 平凡社『アジア歴史地図…

丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 第一百十二回

丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 第一百十二回 《あらすじ》 雒陽を制圧した董卓は、少帝劉弁を廃して幼帝(献帝劉協)を即位させる。この暴挙に、袁紹を盟主に仰ぐ董卓討伐の義軍が起こった。義軍の意気たるや軒昂だが、内心は董卓を恐れて、勇ましく酒盛りをする…

死後の貞操

死後の貞操 新繁県の県令(長官)の妻が亡くなった。 県令は縫物ができる女たちを集め、喪中に着る服を縫わせた。その女たちのなかに、とてもたおやかで美しい婦人がいた。 県令はたいそう彼女が気に入り、この婦人を留めて家に帰さなかった。 彼女は県令から…

白い項(うなじ)の烏

白い項(うなじ)の烏 契丹(きったん)が都を犯した初め頃のことである。各地に群盗が蜂起し、戎(えびす)の人はこれをくるしんだ。 陳州にとある婦人がいた。賊の首領になり「白項烏(はくこうう)」、つまり白い項(うなじ)の烏(からす)と名乗っていた。 女盗賊の…

虎の婦(つま)

虎の婦(つま) 唐の開元中(713年~741年)のことである。 虎が人家の娘を連れ去って妻にした。虎は深山に室を結(かまえ)て住んだ。 二年たったがその婦(つま)は少しも悟らなかった。のちに突然、酒を携えた二人の客人が訪ねてきて、この家で酒盛りをした。この…

苦しむ幽霊

苦しむ幽霊 永徽の初め(唐、高宗の年号で650年~655年)、張琮(ちょうそう)は南陽の令になった。 閤(やくしょ)の中で寝ていると、階(きざはし)前の竹薮から呻き声が聞こえた。行ってのぞいてみたが何もなかった。このようなことが数夜、続いた。琮は…

丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 第一百十一回

丁夫人の嘆き(曹操の後庭)第一百十一回 《あらすじ》 雒陽を制圧した董卓は、少帝劉弁を廃して幼帝(献帝劉協)を即位させる。この暴挙に、袁紹を盟主に仰ぐ董卓討伐の義軍が起こった。義軍の意気たるや軒昂だが、内心は董卓を恐れて、勇ましく酒盛りをする…

ネコの知恵

ネコの知恵 ちかごろ、うちの猫、 変に知恵がついた。 へんてこな知恵の一つ 「おしっこする姿を見てごらん」と、得意そうにネコトイレに誘うのだ。 * お正月に、ネコが体調崩したときに、飼い主が心配そうに何度もネコトイレを調べていたのを覚えていたら…

緊張感ゼロ猫

緊張感ゼロ猫 猫として、これでいいのか さっぱり飼い主にはわかりません。 しかし、この脱力感 このポーズ、 笑ってしまいます。 いいの?おへそ丸出しで。 でも、隠し所は心得ているのね。 そうでもないか。 猫はどんな夢を見るの? わからないけど、 平和…

不思議な葫蘆(ふくべ)

不思議な葫蘆(ふくべ) 唐の元和(げんわ)中のことである。 いつもの風が歇(や)むと、嵩山の少林寺に一人の老人が馬の鞭を杖について門を叩き、宿を乞うた。寺の者はすでに寺門を閉めたので、開けることはできないとして、寺の外の空室二間を指し「勝手に…

唐、大明宮の亡鬼

唐、大明宮の亡鬼 唐の高宗が大明宮を営んだ。 宣政殿が始めてで完成したときのことである。夜ごと数十騎が宣政殿の左右を行き交うのだ。殿中の宿衛の者たちはみなこれを見たが、衣も馬も汚れ一つなくたいそうきよらかだった。このようなことが十余日続いた…

樊噲(はんかい)の亡霊

樊噲(はんかい)の亡霊 長安の待賢坊に隋の北領将軍、史万歳の宅があった。その宅は初めの頃には、いつも鬼怪があって、そこに住んだ者は死んだ。 万歳は鬼怪など信じなかった。それゆえにこの宅に住んだわけである。 向かって左、赤線で囲った部分が長安、…