2010-08-01から1ヶ月間の記事一覧

丁夫人の嘆き(曹操の後庭)  二十三

丁夫人の嘆き 二十三 開門したばかりの上東門は人でごった返し、荷車の上で籠に入れられた鶏や鵞鳥がしきりに鳴き騒いでいた。博労の李は人込みをかきわけて大男の門番に近づくとぽんと肩を叩いた。 大男が振り返り髭面せましと笑みを広げた。 「よう。博労…

丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 二十二

丁夫人の嘆き 二十二 「殿様のお呼びがかかりました」と、さっきから博労の李が奥の部屋で待っていた。 持ち出すものの中には裁縫道具も入用だわと、足音を忍ばせわたしは控えの間に入った。 「……きのうのうちに袁紹が逃げましたぜ」 「うむ。逃げたか」 「…

丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 二十一

丁夫人の嘆き 二十一 「中官が滅んだのに都に居座りおって。用はない、そうそうに立ちされ」とか「なんとも不愉快な男、身の程知らずにも程がある」と、董卓の陰口を叩いているうちはまだよかった。董卓の入城に都の空気は張りつめていたが、たかだか三千の…

幽霊の子守をさせられた少女

父が子供だった頃に本当にあった出来事です。 父が生まれ育った港町は北側に山があって、海の幸と山の幸に恵まれた美しい町でした。 昔はみんな貧しくて、小学校にも行けない子供が大勢いました。そんな子供たちは口減らしのために奉公にだされたそうです。 …

幽霊だと思うけど

幽霊を見たなどと言えば、わたし、変な人だと思われるでしようね。 でも、あれは幽霊としか思えないのです。 五年まえだったかしら、秋の夕暮れ、市営の墓地にお墓参りに行ったのです。 お盆やお彼岸には墓地は墓参りの人でにぎわい、食べ物を売る屋台まで見…

丁夫人の嘆き  雑記 五

丁夫人の嘆き 雑記 五 王莽の首 劉邦の斬蛇剣 孔子の屐(はきもの)が炎上 西晋の恵帝治世は元康五(295)年、閏月庚寅(通鑑では冬十月となっている)、 武庫で火災が起きた。 晋の大臣である張華は乱を疑い、真っ先に兵士を召して宮中の警護にあたらせ、それ…

丁夫人の嘆き  雑記四

丁夫人の嘆き 雑記 四 グーグル地図で どこでもドア気分 白馬寺と宝 〈白馬寺〉 河南省洛陽市を拡大する→洛陽市の右の方に白馬寺村鎮があらわれる。右上ボックスをクリックして写真をチェックする。ベンガラ色の丸い建物がある写真にマウスポイントをあてる…

丁夫人の嘆き  雑記三

丁夫人の嘆き 雑記三 グーグル地図どこでもドア気分 〈丞相府曹操塑像〉 河南省許昌市の地図を拡大して同市内の魏都区を見る。右上のその他のボックスをクリックして写真にチェックを入れる。すると右手を剣にあて、左手を横に伸ばした像の写真が現れる。そ…

丁夫人の嘆き  雑記二

丁夫人の嘆き 雑記二 グーグル地図どこでもドア気分 その一 漢の高祖、白帝の化身の大蛇を斬るの像 江蘇省徐州市銅山県から夏邑県を通る道路の中間地点で「その他」のボックスをクリック。写真にレのチェック。写真が現れるとマウスのポイントをあてると、劉…

丁夫人の嘆き  雑記一

丁夫人の嘆き 雑記一 ノートより。 〈楚歌のいきさつ〉 項籍は西楚の霸王になり天下の命を司り、土地を分けて諸侯を任免した。秦はここにほとんど滅び、その後、五年で天下は漢に統一される。 垓下(がいか。安徽省霊壁付近)で漢の高祖に囲まれた項籍は四面…

丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 二十

丁夫人の嘆き 二十 「いかがなされまし……」といいかけてわたしは言葉をのんだ。当世の男たちに比べると、孟徳はおのれの感情に率直だ。のちに手痛い裏切りにあってから、感情を封じ込めるようになったが、このころは闊達で、一種の感動すら催すほど率直だっ…

丁夫人の嘆き(曹操の後庭)  十九

丁夫人の嘆き 十九 その日、皇居にもどられた天子は天下に大赦を下し、数ヶ月前に中平から光熹と改めたばかりの年号を昭寧と改元した。 治世の安寧を願っての改元であったが、都には暗雲が垂れこめていた。あの騒動で秦から漢朝に伝わった「伝国の璽(じ)」…