2015-04-01から1ヶ月間の記事一覧

不思議な葫蘆(ふくべ)

不思議な葫蘆(ふくべ) 唐の元和(げんわ)中のことである。 いつもの風が歇(や)むと、嵩山の少林寺に一人の老人が馬の鞭を杖について門を叩き、宿を乞うた。寺の者はすでに寺門を閉めたので、開けることはできないとして、寺の外の空室二間を指し「勝手に…

唐、大明宮の亡鬼

唐、大明宮の亡鬼 唐の高宗が大明宮を営んだ。 宣政殿が始めてで完成したときのことである。夜ごと数十騎が宣政殿の左右を行き交うのだ。殿中の宿衛の者たちはみなこれを見たが、衣も馬も汚れ一つなくたいそうきよらかだった。このようなことが十余日続いた…

樊噲(はんかい)の亡霊

樊噲(はんかい)の亡霊 長安の待賢坊に隋の北領将軍、史万歳の宅があった。その宅は初めの頃には、いつも鬼怪があって、そこに住んだ者は死んだ。 万歳は鬼怪など信じなかった。それゆえにこの宅に住んだわけである。 向かって左、赤線で囲った部分が長安、…

丁夫人の嘆き(曹操の後庭)第一百十回

丁夫人の嘆き(曹操の後庭)第一百十回 《あらすじ》 雒陽を制圧した董卓は、少帝劉弁を廃して幼帝(献帝劉協)を即位させる。この暴挙に、袁紹を盟主に仰ぐ董卓討伐の義軍が起こった。義軍の意気たるや軒昂だが、内心は董卓を恐れて、勇ましく酒盛りをするば…

のっぺらぼう

のっぺらぼう 南康県の営民、區敬之は宋の元嘉元年(424年)、息子とともに舫(ふね)にのり、県から流れをさかのぼっていったが、小さな渓(たに)に深くはいりこんでしまった。そこはまるで地の果てのように遠く、この上なく険しくて、人跡未踏の地のようである…

巫(かんなぎ)の罪

巫(かんなぎ)の罪 巴丘県に巫(かんなぎ)の師舒禮という者がいた。 晋の永昌元年(322年)に病死して土地神に連れられて太山まで送られることになった。世間ではいつも巫師のことを道人と呼んでいた。初めに冥土の役人たちの寺の前を通った。 「ここはなんと…

少君の術

少君の術 唐の李當が興元を鎮めていたときのことである。 褒城県(ほうじょうけん)の處士、陳休復という者は陳七子と号していたが、博徒と慣れしたしみ、品行が常の者とは思えない。 注*處士(しょし) 士の未だ仕えないものをいう。浪人。後世、偉人を優遇す…

蠮蠛国(えつべつこく)への使者

蠮蠛国(えつべつこく)への使者 唐の寧王の傅(もりやく)袁嘉祚は、人となり正直で阿(おもね)らず、よく人臣としての大節を行い、主君に直言して主君を悟らせるためには死も厭わなかった。のちに塩州刺史になった。彼の為政は清廉潔白で天下第一の栄誉を博した…