2012-09-01から1ヶ月間の記事一覧
丁夫人の嘆き(曹操の後庭)雑記 三十 『 孫権の都、建業について』 呉から秣陵(まつりょう)へ 孫権(字は仲謀)の兄、孫策(字は伯符)が建安五(200)年に死んだとき、かれらの版図はただ、会稽、呉郡、丹楊、豫章、廬陵あるのみだった。しかもこの勢力圏は山深…
友達から届いた詩集 昨日、郵便受けに分厚い封書が。カタログかしら? あれれ、友達からだ。 開封すると 「さんぽやの便り」という詩集が出てきた。作者は以前に友達が住んでいたマンションの大家さん。玄関ホールに季節の花と、素敵な散文詩の色紙がか飾っ…
グスコーブドリの伝記というクッキー 八月のお盆前のこと、息子は東北へ出張した。独身だからあっちこっちへ気さくに出張させられます。このまえの福島原発への出張も、年寄りを生かせて倒れられた事だから、ぴちぴちのを行かせよう。ぴちぴちではないのです…
丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 二十九 後漢の揚州――寿春と袁術の墓と歴陽 後漢の揚州刺史の治所がわかりにくく、曖昧な感じがいなめないのは『後漢書』が、後漢が亡んで凡そ二百年後に出来たからだ。その間に散逸した史料もずいぶんあったはずだ。地理のような『…
猫ちゃんのドヤ顔 このドヤ顔には残念ながら写真がありません。猫と接触するなかで、「あれっ、ドヤ顔だ」と感じるよりほかないのです。 はじめてドヤ顔というか秘密を共有した顔を見たのは早朝でした。近所の野良猫三匹が、そろって十字路の向こうからしゃ…
丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 雑記二十八 後漢の揚州について 写真は孫権の故里にある『孫氏宗祀』 孫氏の廟みたいなものらしい。 廟の内部 龍門古鎮の義門 旗は理髪店の看板らしい。古のたたずまいを重んじて景観に調和するように しっとりとした色合いである…
丁夫人の嘆き(曹操の後庭)雑記二十七 揚州の治所について 後漢の揚州刺史の治所、つまり刺史の役所があり官舎があるところのことだが、 『後漢書』によれば、揚州は九江郡の歴陽(安徽省合肥市居巣区和県)に刺史の治所を置いたとある。 所が、『漢官』では刺…
丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 八十一 「おじさんたち、どこから来たの?」 子供たちがあどけない顔で問いかけた。 「揚州じゃよ」 濡れ手ぬぐいで愛しげに我が子の顔を拭っていた男が顔をあげた。 「それはそれは子連れで難儀しなさった。おお、男らしい眉をし…
丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 八十 どこまで行っても変わり映えがしない景色が続く。酸棗(さんそう)は山一つない平らかな地で、目を凝らせば数里先まで見渡せそうだ。街道はあたり一面の黍畑と桑畑の間を通っていて、土地の名の由来になった酸棗(さねぶとなつめ…