2012-01-01から1年間の記事一覧

お知らせ

お知らせ ブログの更新遅れすぎの件、お詫び申し上げます。 少し身辺が落ち着かなくて更新できませんでした。 いざ更新しようとしましたら、セキュリティの警告がでて、パスワードを入れないといけないとのこと。 パソコン設定時のパスワードらしきものをい…

財神 趙公明

財神 趙公明 グーグルマップで遊んでいると、時としてとんでもない写真に出くわす。とんでもない写真の一例をあげると、「○○塞」だったかしら? どういういわれがあるのかしらと写真をクリック、なにげなく画面の左端をみた。解放軍の兵士が写っているのだが…

アルは猫界のオネエだ

アルは猫界のオネエだ アルの飼い主家では、「アルは去勢したのでオネエ」になったと噂しています。?? どういうことかしら? うちのニャンタも六ヶ月ぐらいで去勢手術うけたけど、オネエらしくない。 アルはもと捨て猫、縁あって知人の家の猫になった。も…

丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 雑記 三十三  孫堅は丞であった

丁夫人の嘆き(曹操の後庭)雑記 三十三 孫堅は丞であった 三国志巻四十六の「呉書」一の『孫破虜討逆伝第一』は孫堅(字は文臺)の列伝である。列伝に孫堅は塩瀆(えんとく)、盱眙(くい)、下邳(かひ)の丞になったとある。 どうも腑に落ちない。ずいぶん考え込ん…

丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 八十三

丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 八十三 揚州男児は血の気が多いともっぱらの評判である。が、これは美辞麗句といわねばならぬ。 「牽牛流れて揚州となり、さらに分かれて越国になった」と、とある天文の書にある。 『周礼(しゅうらい)』によれば「(都の)東南…

丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 八十二

丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 八十二 曹洪から戦わぬ義旗の諸将の話を聞くと、揚州刺史陳温はあんぐりと口を開けたまま、ぽとりとその手から杯を取り落としてしまった。 「なに、天下の義旗が董卓怖さに、面付き合わせて酔いしれては口だけ戦わせておるとな。男…

PCが変だ! 不正アクセスされていた

PCが変だ! 不正アクセスされていた パソコンの調子が悪かった。ずっと悪かったので修理にだしたほうがいいかなと思っていた。 どんな具合かと言うと、 コメント承認制のブログではコメントできない。 コメントを書き込み投稿ボタンをクリックすれば、「タイ…

徐庶の母の墓

徐庶の母の墓 徐庶ほど経歴が曖昧で、そのくせに男臭くて魅力的な人物はいない。 三国志『蜀書』の諸葛亮(字は孔明)伝のなかにつけられた注、『魏略』でしか徐庶のことはわからないのだが、このような魅力的な男を世人は捨てておかない。様々な修飾が加わっ…

さんぽやさんの歌 一

さんぽやさんの歌 一 わたしが作った歌ではありませんよ。 きのしたみのるさんの歌です。 友人の知り合いです。友人が本をおくってくださったので、少しずつ載せて行こうとおもいます。 なにげない言葉で、 誰にでも書けそうでいて 本当は誰にでも容易に書け…

金運カレンダーの御利益?

金運カレンダーの御利益? 息子の新潟出張のおみやげは、宿泊先で頂戴した金運カレンダーなるものでした。黄色に金箔押しの日めくりタイプ。 たっぷりと金運の夢をふくらませてくれた頃の暦 http://blogs.yahoo.co.jp/flow_six_tamaehayashi/22062176.html …

丁夫人の嘆き(曹操の後庭)雑記 三十一 孫権の都、建業について 下

丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 三十一 孫権の都、建業について 下 孫権(182年生~252年四月没)は、劉備が公安から去ったあとに公安に拠る。魏の黄初二(221)年四月に劉備が蜀で皇帝の位につく。同じく四月に、孫権は公安から鄂(がく)に都を移し、鄂を武昌と改名し…

丁夫人の嘆き(曹操の後庭)雑記三十 孫権の都、建業について 上

丁夫人の嘆き(曹操の後庭)雑記 三十 『 孫権の都、建業について』 呉から秣陵(まつりょう)へ 孫権(字は仲謀)の兄、孫策(字は伯符)が建安五(200)年に死んだとき、かれらの版図はただ、会稽、呉郡、丹楊、豫章、廬陵あるのみだった。しかもこの勢力圏は山深…

友達から届いた詩集

友達から届いた詩集 昨日、郵便受けに分厚い封書が。カタログかしら? あれれ、友達からだ。 開封すると 「さんぽやの便り」という詩集が出てきた。作者は以前に友達が住んでいたマンションの大家さん。玄関ホールに季節の花と、素敵な散文詩の色紙がか飾っ…

グスコーブドリの伝記というクッキー

グスコーブドリの伝記というクッキー 八月のお盆前のこと、息子は東北へ出張した。独身だからあっちこっちへ気さくに出張させられます。このまえの福島原発への出張も、年寄りを生かせて倒れられた事だから、ぴちぴちのを行かせよう。ぴちぴちではないのです…

丁夫人の嘆き(曹操の後庭)雑記 二十九 後漢の揚州、寿春と袁術の墓と歴陽

丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 二十九 後漢の揚州――寿春と袁術の墓と歴陽 後漢の揚州刺史の治所がわかりにくく、曖昧な感じがいなめないのは『後漢書』が、後漢が亡んで凡そ二百年後に出来たからだ。その間に散逸した史料もずいぶんあったはずだ。地理のような『…

猫ちゃんのドヤ顔

猫ちゃんのドヤ顔 このドヤ顔には残念ながら写真がありません。猫と接触するなかで、「あれっ、ドヤ顔だ」と感じるよりほかないのです。 はじめてドヤ顔というか秘密を共有した顔を見たのは早朝でした。近所の野良猫三匹が、そろって十字路の向こうからしゃ…

丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 雑記二十八 後漢の揚州について

丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 雑記二十八 後漢の揚州について 写真は孫権の故里にある『孫氏宗祀』 孫氏の廟みたいなものらしい。 廟の内部 龍門古鎮の義門 旗は理髪店の看板らしい。古のたたずまいを重んじて景観に調和するように しっとりとした色合いである…

丁夫人の嘆き(曹操の後庭)雑記二十七 揚州の治所について

丁夫人の嘆き(曹操の後庭)雑記二十七 揚州の治所について 後漢の揚州刺史の治所、つまり刺史の役所があり官舎があるところのことだが、 『後漢書』によれば、揚州は九江郡の歴陽(安徽省合肥市居巣区和県)に刺史の治所を置いたとある。 所が、『漢官』では刺…

丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 八十一

丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 八十一 「おじさんたち、どこから来たの?」 子供たちがあどけない顔で問いかけた。 「揚州じゃよ」 濡れ手ぬぐいで愛しげに我が子の顔を拭っていた男が顔をあげた。 「それはそれは子連れで難儀しなさった。おお、男らしい眉をし…

丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 八十

丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 八十 どこまで行っても変わり映えがしない景色が続く。酸棗(さんそう)は山一つない平らかな地で、目を凝らせば数里先まで見渡せそうだ。街道はあたり一面の黍畑と桑畑の間を通っていて、土地の名の由来になった酸棗(さねぶとなつめ…

飼い猫に仕返しされた!

飼い猫に仕返しされた! 見てください。 引っかかれたのではありません。咬まれたのです。 これ、あたしの腕です。五キロも太って恥ずかしいですが、まだらに日焼けして蚊に咬まれて、四日前には飼い猫にがばっと咬まれたあたしの腕です。ひどかったのですよ…

虫オジサンにおまかせ

虫オジサンにおまかせ 夏休みの宿題のなかでも、自由研究というのは何をしたらいいのか困りますよね。自由研究なのだから、何をしてもいいのですが、自由すぎて漠然としてしまいます。 たびたび新聞に取り上げられたり、大阪府下の幼稚園や小学校から招かれ…

赤いひまわりと黒いひまわりとアカウリ

赤いひまわりと黒いひまわりとアカウリ ブロ友さんのブログに赤いひまわりが出ていた。まあ、な~んと珍しい。牡丹色の花びらが青空を背景に誇らかに咲いていた。珍しいお花もあるのだと感心してしまった。 バイトで他所の町を回っているとあっと思った。 う…

丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 雑記二十六 後漢の交州

丁夫人の嘆き(曹操の後庭)の雑記 二十六 後漢の交州について 上は後漢(都が東の雒陽に移った漢だから東漢とも言う)の交州全体図 後漢の交州右半分 後漢の交州左半分 後漢の交州は、今の広東省から広西壮族自治区およびベトナムにまで広がる豊かな州でした。 …

丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 七十九

丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 七十九 「子脩よ。州牧と刺史の違いか?」 息子を前にすると孟徳はわざと背筋を伸ばし威厳をつくる。でも、決してよそよそしくないのは、細めた目でわかる。父は子にとって君主のようなもの、絶対の存在であることを態度で示してい…

丁夫人の嘆き(曹操の後庭)  七十八

丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 七十八 劉焉(りゅうえん。字は君郎)が益州(四川省)に赴任したのは、私たちがまだ雒陽に住んでいた頃だ。益州牧の一行は一族はおろか知人、友人や見ず知らずの旅人までが加わったから、彼らの行くところは都会のように賑わった。 周…

ママ、あなたの走り回る凶器に気配りを

ママ、あなたの走り回る凶器に気配りを 土曜日は最悪だった。 低くたれ込めた雲はいかにも重さに堪えかねてざぁーっと泣きそうで、じとっと空気までが湿りを帯びてべたつく。 私は二メートルほど先の横断歩道で信号待ちをするために、自転車をゆっくりと漕い…

丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 七十七

丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 七十七 「のう、天の遠謀とは計り知れぬ。宿命とはこういうものじゃ、景帝も黄泉の国で苦笑しておられよう」 子許は幾度となく頭をふった。 「うむ……、所詮、腹は借り物という……、天は卑しめて尊ぶのがお好きですな。われらの心を…

丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 七十六

丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 七十六 四龍は四劉、四劉の最たる者は幽州牧の劉虞(りゅうぐ)だ。そう言ったのは陳留の孝廉、衞茲(字は子許)である。 あれは孟徳がはじめて旗揚げした己吾(きご)の地でのこと。 ああ、わずか数ヶ月前の出来事が遠い昔に思えるが、…

丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 七十五

今回はこれまでのあらすじです。 主な登場人物 丁夫人 曹操の先妻。曹操の母の一族である。子供に恵まれず、曹操の側室 だった劉夫人の遺児、曹昂(そうこう。字は子脩)を養子にする。彼女は 子脩に夢中になる。 曹操 字は孟徳、沛国譙(しょう。今の安徽省亳…