2011-01-01から1年間の記事一覧
将軍様と超常現象 その東アジア的風土 テレビのニュース番組で、北朝鮮では将軍のことを将軍様というと笑いの種になっていた。 朝鮮語もしくは韓国語では尊敬する人には様をつけねば失礼にあたると聞いたことがある。だから先生のことは本来ならばスンセンで…
知恵がついたのか? 横着なのか? 今年の九月のこと。 ニヤンタが首を掻きすぎて、禿どころか喉頸のあたりが真っ赤にただれた。 蚊に咬まれたらしい。首輪が傷口にあたってとても痛そうだ。直るかなと思ったが、10日たっても一向に直る気配がない、禿てた…
丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 六十三 「わしは酸棗に行くぞ。行って諸将の罪を糾弾してやる。衞子許を見殺しにしやがって。うるさい奴だとわしらまで始末するつもりだったのじゃぞ」 ずしりと腹にこたえる声を孟徳が発した。股(もも)に受けた矢傷は痛むはず…
丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 六十二 「目覚められたか」 押し殺した曹洪の声がして、無骨な温かい手がぎゅっと孟徳の手を握り締めた。 「ああ、その声は子廉(洪)だ、生きておったか……」 「当たり前じゃ。呼んでも起きんから心配したぞ」 「そうか……、わしは星…
丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 六十一 金の粉をまき散らしながら、星は袁紹を追った。冴えわたった天空は箜篌(くご)の弦さながらに泣いた。 孟徳は歌った。 天下に男(お)の子ありて濁れる世を憂う 春の川辺に人知れず咲く薫り高き蘭よ わが意気は蘭に似て気高く…
丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 六十 孟徳は星に跨っていた。 ずっと昔から慣れ親しんできたように、星は孟徳の意のままに動いた。 昔、龍を飼いならした『龍使い』がいたが、わしのように星を駆使する『星使い』というのもなかなかよい。 「博労がみつけてくる馬…
ブログ荒らしは去りました わたしのブログを荒らしていた秋山クンは九月一日をもって わたしへの攻撃をやめました。 それまでうるさかったですが、コメント承認制が役に立ちました。 ヤフーさんからも不適切なコメントが入っています、削除してくださいとの…
妄想的な読解力 今日の明け方から今現在にいたるまで ブログ荒らしが新旧二つのプロフィールを使い分けてゲストブックを荒らしています。ご苦労な事に八回も書き込みです。ゴミ掃除ソフトを入れるまでゲストブックを閉じることにしました。 荒らしのコメント…
丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 五十九 歯の根が踊りだし、見苦しく歯がかたかたと音をたてた。体ときたら、重い甲(よろい)のしたでとめどもなく震えていた。子脩はなんともぶざまな己を恥じた。野面に横たわるおびただしい屍(しかばね)を見て、子脩は嘔吐…
丁夫人の嘆き(曹操の後庭)雑記十九 遊牧騎馬民族の原風景 匈奴(きょうど)、鮮卑(せんぴ)、鉄勒(てつろく)などの遊牧騎馬民族が闊歩した土地を見て見たい。黄河が北河と南河に別れてまた合流するあたりはオルドス地方と呼ばれ、牛馬、羊が群れをなす…
丁夫人の嘆き(曹操の後庭)雑記 十八 滎陽(けいよう)の戦いの曹操軍の兵員について 漢の献帝の初平元(190)年春、曹操軍は滎陽で、董卓の武将である徐栄に惨敗した。 徐栄は曹操を追撃しなかった。 「酸棗までは遠い」と、引き返したのである。 曹操軍…
丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 五十八 「ちと痛むが堪(こら)えてくだされ」 懐から取り出した布を曹洪は孟徳に渡すと、孟徳の太股に刺さった矢に手をかけた。 「痛む? わしを見くびるな」 「そうこなくちゃいけねぇ。沛国譙(はいこくしょう)の男は丈夫(ますらお…
ニヤンタのおなら? ニヤンタと暮らすようになってあと数ヶ月もすれば六年になる。 この六年近い年月の間、「??? うん、もしかしてこれはニヤンタのおなら?」と思うことがしばしばあった。時には音なんかなくて、なんだか臭う。で、くんくんと臭いを嗅ぐ…
丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 五十七 「閣下」 思いつめた顔で年若い司馬が衞玆(えいし)を見上げた。 「なんじゃ」 「すでに曹将軍の軍が崩れたにもかかわらず、あの大軍を相手に閣下は善戦なされた。かれの軍は多くわが軍は少なし。兵家は敵中深く進む孤軍…
丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 五十六 後続をつとめる衞茲(えいし)のもとに孟徳の伝令が走った。伝令は茲の顔見知りである夏侯惇だったから、茲は意外そうに小首をかしげた。役不足ではないか? 茲の目がそう物語っている。 惇(じゅん)は気付かないふりを…
猫のアルちゃん、ノラ猫にかまれた こんなちっちゃ猫だったアルちゃんは、 小学校の通学路ぞいにある公園で兄弟猫と一緒に捨てられて鳴いていた。 小学生の女の子たち三人は、保護しようとしたら三匹の子猫は一目散に逃げちゃった。どじなアル君だけが逃げ遅…
丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 五十五 滎陽(けいよう)の汴水(べんすい)で、孟徳は董卓の武将に遭遇したのである。そこからは成皋関(せいこうかん)まで二、三日行程だというのに惜しいことである。 「はじまったか。して、董卓の武将というのは何奴じゃ」…
丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 五十四 孟徳の後続に衞玆(えいし)の軍を充てたから、いかつい外見にもかかわらず、張邈(ばく)の配慮は細やかに行き届いていた。 孟徳と意気投合して真っ先に義兵をあげた衞玆である、あの御仁なら孟徳の足を引っ張りはしない…
猫のマッサージ屋さん ボク、疲れちゃったよ。猫のマッサージ屋さんはネンネ。 体調が思わしくなかったのに〆最後の一軒の集金に出かけた。行きは小雨だった。十分ほどすると本降りだ。ずぶぬれで自転車をこぐ人がいて気の毒だった。わたしは雨合羽を着てい…
丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 五十三 写真は無錫三国城のセット 虎牢関(成皋関) グーグルMapより 陳留太守の張邈(ちょうばく)は出兵を渋った。それが、孟徳の気迫に押されて承知した。 「友とは、しみじみとよいものじゃ。孟卓(邈)はのう、わしが敗れたとき…
一方的に♡な猫とタナゴ 冬の間、水槽のなかは眠ったように静まり返っていた。 ガラスは褐色の水苔のようなものでおおわれ、なかの様子はうかがえなかった。 タナゴも川エビも死んでしまったらしい。 ニヤンタはニヤーニャー鳴いて、私を水槽の前に誘導すると…
丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 五十二 写真は無錫三国城の魏の軍隊 グーグルMapより。 曹操の軍のイメージとして引用 行軍の鼓が軽やかに鳴り渡る。 孟徳が出征する。行奮武将軍(こうふんぶしょうぐん)曹孟徳の晴れ姿である。 見送りの者たちが兵士について…
野良の昇天 まだ肌寒い三月の夕暮れ、バイトからもどってきた私はご近所さんとぱったり顔をあわせた。 「野良猫が車にひかれよって、あんたとこの家の横まで歩いて行って死んだわ」 「えっ。どこ?」 「そこや」 私の足元を指差す。 「あんたが見たら震えよ…
荊州襄陽城(けいしゅうじょうようじょう)劉表が治所をおいた 丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 五十一 「こちらに控える客人と一緒に棺(ひつぎ)を担いで墓にいれました」 「おまえはなんという奴だ、年端もいかぬ身でようやったぞ。客人よ、礼を言うぞ」 洪が客人…
ニサンザイ古墳 ニサンザイ古墳は大阪府堺市中区土師町(はぜちょう)にあります。古墳の南側は土師町にくっついているのですが、今調べましたところ、所在地は堺市北区百舌鳥西之町となっています。(訂正いたします) この古墳は案内板にも記載されているよう…
丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 五十 部屋の入口で趙単が一礼した。 「おお、子雅か、入れ」 子雅は、胡三明が太学に入れてくれと連れてきた少年である。 三明の実の弟だと思っていたが義兄弟だ。子雅もまた黄巾の残党らしい。あの戦場で、屍のあいだを泣きながら…
行基さんの土塔 ゴールデンウィークの間、バイトしていたのでどこにも行けませんでした。 バイトの途中、少し足を伸ばして土塔に寄ってみました。桜のころは花見の衆が繰り出して賑やかなのですが、ひっそりとしていました。 門の奥、左が土塔(どとう) 土塔…
どうでもよいゴシップな三国志 一、美女の成れの果ては鬼女 建安五(200)年冬、袁紹は官渡の戦いで曹操に大敗して気がふさいでならなかった。そのまま病に伏し建安7年夏五月に世を去った。 袁紹の後妻になった劉氏は美貌で有名だった。といっても人目を…
丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 四十九 「なんと! 知己ではなかったとな……」 夏侯惇が絶句した。 「思慮深い子許が、のう」 曹洪が首をかしげた。 「子許はわしより年下じゃが軽挙妄動する男ではない。何大将軍や三公、董卓のお召しにも応じなかった。仕官をこと…
さくら幻想紀行 摩訶不思議の都 慶州 下 むかし、都に麗しい女がいた。人は彼の女を桃花女と呼んだ。新羅第二十五代の王、真智王は桃花女に心が動き、挑んだ。 拒んで桃花女は「わたしには夫がいます。貞節な女は二夫にまみえぬもの」といった。 「殺されて…