渋いカーディガンの思い出

毎年、父の日が近づくとほろ苦い思いをする。
父が亡くなって久しいというのに、父と過ごした楽しかった思い出より、あのときの苦い思い出が鮮やかによみがえる。
 
 父は昔からお洒落だった。
 普段着でもとても高価なシャツを着こんでいた。若い人は何を着ても似合うが、年寄りはいいものを着ないとますます年寄り臭くなる、が口癖だった。
 
 その父が、二の腕に虫食いが出来たレンガ色のセーターを着ていた。
 「お父ちゃん、セーター破れているよ。どうしてそんなセーター着ているの?」
「うーん。父ちゃんは貧乏だから」
 父がにやにや笑う。
 いつみても、父は穴があいたそのセーターを着ているのだ。そんなに気に入っているなら母にかがってもらえばよいのに、それもしない。 とうとうある日、
 「お父ちゃん、父の日は何カ月も前だけど、わたしが素晴らしいカーディガンプレゼントするからね」
 と、言った。父は「ほう」というように口を小さくあけ、灯をともしたように顔を明るませた。
 「わたしのお父ちゃんを英国紳士のように上品な感じに仕上げたいの」と、ニッティングスクールの講師をしている友達に頼んだ。
 毛糸は上等のウールでお願いして、赤いシャツなどに合わせやすいように色はチャコールグレーに決めた。ボタンなんかも上等の品にした。手編み、世界に一つしかない、素敵なカーデガンが出来た。諸費用込で格安の二万五千円だったのを覚えている。市販価格は八万円から十万円だぞ、これは。
 
 「お父ちゃ~ん。届いたよ。今から行くからね」
 と、電話した。
 居間のドアをあけると父は鼻歌を歌いながらトンビのように腕を広げてくるくる舞っていた。
「おー、母さんはいい娘を生んでくれたもんだ。たいした娘だ。こんな娘は二人といらん。二人もいたら心臓と脛がもたんわ」
 父はにこにこ、わたしもにこにこ。居間は明るい笑い声でいっぱい。
急いで包みをあけて、「お父ちゃん、手を通して」とカーディガンを広げる。とたんに父の顔色が変わった。
 「わしはこんな年寄りではないわい。こんな爺むさいの着られるもんか」
 と、わたしに詰め寄る。
「そんなことないわよ。お父ちゃんをジェントルマンにしたかったんよ」
「こんなの着たら老けこむわい」
 と、父はカーデガンを床に投げつける。
 なにを言ってもだめ。悔しくてわたしが着ることにした。大きめだったがとても気に入って、通勤に愛用した。電車の中で顔を合わせた知り合いから「あんた、いいの着てるわねぇ」なんて羨ましがられたくらいだ。
 母が、「お父さんは赤いのが欲しかったらしいよ。とても楽しみにしていたからね」という。「どんな色がいい?」と聞いたとき「まかせる」と言ったくせに。真っ赤な色とは思いつかなかった。
 父の日が近づくとあの夜の事を思い出していつも心がひりひりする。