丁夫人の嘆き 七   (曹操の後庭)

丁夫人の嘆き  七
 
 子脩は少年といってもまだほんの子供だが、学問に早熟な才をあらわし、「いざのときには母上を護る」とうれしい事を言って、武芸の腕を上げていく。射的場で、棚にならんだ的の虎を見事に射てゆき、わたしを喜ばせる。
 卞氏は譙の実家にもどって男児を生んだ。都でわたしの世話を受けながら産み月を迎えるのが余程心細かったとみえる。子供が歩けるようになるまで養生をかねて譙で暮らすと知らせてきた。譙の費亭の館で舅殿の機嫌をとっているらしいが、舅殿の若い側女とは気が合うらしい。男児が数え二歳になるのに都に戻ってこない。子を生んだ側女が、正室を恐れて戻ってこないとなると、わたしは世間の物笑いの種になるだろう。
 「卞はいつになったら戻ってくるのでしょうか」と、本当のところ戻ってきて欲しくなかったけれど、孟徳のまえでわたしは心配そうに眉をひそめる。
 孟徳はまたまた新しい側女をおいていた。三十路にもなろうという卞氏は側女をみてどんな顔をするかしら? 想像するだけで胸がわくわくして卞氏の背中をぽんと叩いて「しっかり戦いなさい」と声の一つでもかけてやりたい。
 それだけではない、実の兄弟を病で亡くしていたから、子脩は新しい兄弟が出来て喜んでいた。九歳年下の子桓(丕)に「お兄ちゃま」とまとわりつかれるのを、いまかいまかと待っている。わたしも子供は嫌いでない。抱いたりあやしたり、あれやこれやと卞氏を指図しながら育てるのも悪くない。子脩を中心にまとまる兄弟を作らねばならないと思うと、よその女が生んだ子も大切にしようと思う。
 「おまえ、知らなかったのか?」
 机に向かっていた孟徳が、筆を置いて険しい顔をわたしに向けた。
「なんでございましよう」
 わたしの声がかすかに震えた。卞氏に粟を食べさせたり、紅や白粉をけちけちと少しだけしか渡さなかったこと、下女がする辛い仕事である米搗きをさせたことなどが脳裏を過ぎった。
 孟徳がぎょろりとわたしを睨む。あっ、何もかも知っている。わたしは身を固くした。
 「さっき、博労の手下がきた」
「まっ。気がつきませんでしたわ。ねぎらいもせず……」
「むこうも急いでいた。知らなかったのか……袁本初め、大将軍をそそのかしおって。兵が動いたぞ」
 時に大将軍は何太后の兄である何進、いよいよその時のがきたのか。背筋がすっと冷え、卞氏のことなどどうでもよくなった。
 「董卓の兵が……」
董卓ではない。太后を脅すために大将軍が東方にむけて使者をだし、兵を動かすように命じた。博労の手下の知らせによれば、武猛都尉の丁原率いる兵士数千が中官どもを討つと称して河内(かだい。郡名)を荒らし回り、とうとう孟津の関所に火を放った。東郡太守の橋瑁が兵を率いて成皋関(せいこうかん)に向かっているそうだ」
 河内郡は都がある河南尹と黄河をはさんで南北に向かい合っている。孟津(もうしん)は黄河の渡し場があるところで、そこから都までの距離は四十里あまりほどと聞く。賊の侵入から都を護るために関所がおかれているが、そこを焼き払うとは……。
成皋は孟津のずっと東で黄河の南にあって、戦になればまずこの関所で外敵の侵入をくいとめる。ここを抜かれると京師が危うい。太后を脅すのにずいぶん手間とお金をかけること。
 「朝廷からお召しがありますわね」
「急使が朝廷に駆けつけるのは明朝だろうよ」
「早馬よりも早いのですか……ただ者とは思えませんわ」
「黄巾の残党だ」
「えっ、なんとおっしゃいましたの?」
「残党さ。潁川(えいせん)で黄巾を討伐したとき、董卓の兵士たちは捕虜をなぶり殺しにした。嫌気がさしてわしは小者たちを見逃してやった。名を変え姿を変えて生き延びた。博労は一夜で百里を走る、馬みたいな奴だ。特技を買われて伝令をつとめておったらしい。目くらましの術を使う奴もいるらしい。どこから見ても美女という男もいて、これは男を誑かせて寝首を掻く。ふっふっふ、都とはおもしろいところさ、妖怪が棲む」
 孟徳は片頬を歪めて笑う。孟徳が言わんとするところの妖怪が誰をさすのかわたしは悟った。袁本初(紹)は大将軍の抜擢を受けて司隷校尉に昇進していた。でも、まだまだ小者。上には上がある。
 
 孟津であがった火の手は夜空を赤々と照らし、都からも望めたが、何太后は脅しに屈しなかった。
 その頃、董卓黄河の北側の、河内郡と隣り合った河東郡山西省南部)にいて、じっと政情をじっと読んでいた。
 
 続く