丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 十六

イメージ 1
丁夫人の嘆き  十六
 
 八月庚午(二十七日)、事態は動いた。
 北宮に籠っていた張讓や段珪たちは天子の権威が衰えたことを身をもって感じたに違いない。
 「袁紹は大悪人よ、のう。天子の宮居を攻めおる」と、舌打ちしたに違いない。天子が死んでも屁ともおもわないらしい。
 焦燥感にかられた張讓たちはついに数十人とともに天子と陳留王をともない、徒歩で城北の穀門を出た。
 天子がさらわれるというのも異例のことだが、「天子は天の子、土を踏まず」といわれた天子が徒歩というのも異例のことだ。天子の行くところ、六璽を背負った侍中や唾壺(だこ。たんつぼ)、おまる、尿筒などを捧げ持った侍中がお伴するのが慣わしであるが、それもいない。公卿はだれ一人付き添う者はいない。天子の首のすげかえはいくらでもできるが、わが身の替わりなどない。日ごろは天子、天子ともちあげておいて、いざのときにはすとんと地に落とす。感じやすい少年の心はどんなに傷ついたことか。
 そのまま数十里ほど歩いて、夜になって河(黄河)の渡し場である小平津に着いた。
 天子が都を出たときき、尚書盧植と河南中郎掾の閔貢が後を追う。夜になって閔貢は、河岸で張讓たちに追いついた。
「わしは河南中郎掾じゃ。天を恐れぬ大悪人めが、天下を騒がせたあげく恐れ多くも天子を蒙塵(もうじん)させて、何をする気か。四海ひろしと言えども巨悪をいれる地はないわい。悪あがきはやめて、今すぐ命を断て。すぐにも京師の兵が押し寄せるぞ。市中引き回しのうえ八つ裂きにされたいかっ。わしの情けがわからぬか、今すぐ命を断て。わからぬならこうだ、わしが殺してやるまでだ」
 貢が目を吊り上げてはったりを効かせて叱りつける。ここは一世一代の大芝居とばかり、中官を数人斬り殺した。
 ああ、命運ここに尽きた。
 北宮を脱出したときから、この瞬間を予感していた。今やどこにも身の置き所などない。張讓は天子の前で腕をくみ、丁寧にお辞儀をすると万感をこめて天子をみつめる。陳留王を即位させる勢力もあったが、このお方の即位に力を貸したのは自分だ。でも、すがるにはあまりもか細い蜘蛛の糸でしかない。罪をわびるように讓は叩頭して告げた。
「臣らはこれから死にます。陛下、ご自愛召されよ」
 言い終わると讓はさっと立ちあがり、河に身を投げた。のこる中官たちも次々と讓に続いた。
  閔貢は天子と陳留王を励ましながら蛍の光を追って南に歩いた。数里歩いたところで民家に行きあたった。その家の荷車に三人が同乗して最寄りの宿駅、雒舎までゆき、そこで休んだ。
 八月辛未(二十八日)、天子は馬にのり、九歳の陳留王と閔貢が一頭の馬に同乗して雒舎を出て南に進んだ。雒舎で伝令を走らせておいたので、このころになると出迎えの公卿がぽつりぽつりと姿をみせるようになった。
 
 董卓何進の要請をうけ兵士を率いて顕陽苑まできたとき、南宮が燃えているのを遠望した。
 
  続く。