丁夫人の嘆き  雑記四

丁夫人の嘆き 雑記 四
 
 グーグル地図で どこでもドア気分 白馬寺と宝
 白馬寺
河南省洛陽市を拡大する→洛陽市の右の方に白馬寺村鎮があらわれる。右上ボックスをクリックして写真をチェックする。ベンガラ色の丸い建物がある写真にマウスポイントをあてると回望白馬寺という文字が現れる。その写真を拡大すればよい。
 
 後漢の明帝は金人の夢をみて西域に使者を立てた。
 使者は天竺僧とともに白馬に経巻を載せてもどってきた。これが仏教伝来のはじまりだといわれている。(これ以前にも匈奴の間でひろまっていたとか)
 以来、白馬寺には世々、天竺僧の往来は絶えずといわれた。
 魏の明帝は白馬寺の影が宮中に落ちるので、怒って寺を壊そうとしたことがある。すると天竺僧が明帝の御前に進み出て仏舎利を水を張った鉢の中にいれた。
 あら不思議や不思議、仏舎利は光彩を放ち、するすると茎を伸ばし葉を茂らせつぼみをつけた。ぽんとつぼみがひらき大輪の蓮華が咲いた。明帝は無言で引き揚げたという。
 これから推察すると当時の白馬寺は高層の塔があってその上に刹竿があり五色の旗がかかげてあったものと思われる。
 
 白馬で運んだ際に、経巻を入れた箱は楡の木でつくられていて、寺宝として伝世した。
 北魏末、高歓の武将が白馬寺に宝があると知り、珍奇な宝物を求めてこの箱を壊してしまった。のち、この武将は屍のあいだに潜んでいた賊に殺される。人々は仏の罰が当たったと言ったそうだ。