丁夫人の嘆き  雑記 五

丁夫人の嘆き  雑記 五
 
 王莽の首 劉邦の斬蛇剣 孔子の屐(はきもの)が炎上
  
西晋の恵帝治世は元康五(295)年、閏月庚寅(通鑑では冬十月となっている)、
武庫で火災が起きた。
 晋の大臣である張華は乱を疑い、真っ先に兵士を召して宮中の警護にあたらせ、それからおもむろに消火にあたらせた。
 ここに累代の珍しい宝や、王莽の頭(くびのこと)、漢の高祖(劉邦)斬白蛇の剣、孔子の屐(はきもの。草履とか下駄の類)、二百万人分の道具と武器が灰燼に帰したという。
 王莽の首が漆でかためられていたことは、「酉陽雑俎」(唐の段成式著。平凡社東洋文庫)で読んだとおもう。決してわたしの作り事ではありません。
 書物を当たろうと思ったが、四、五冊にも分かれていて分厚くて文字が小さくて、何日もかかりそうなのでやめました。興味のあるかたは図書館でどうぞ。荒唐無稽なものから、天人五衰の衰相のようにとても美しく哀しいものまでいろいろとあります。
段成式という貴族は珍しい話を書きとめていたのですが、中には成式を騙す、よろこばせたかったのでしよう、「どこそこで聞いたとか……」といって、既知の話を、場所や名前を変えて成式に告げます。漫画の「カムイ外伝」にでてくる、戦っていた二人が氷になってしまったような話もあります。←西域のところですが、ここの荒唐無稽なことまるでほら吹き男爵なみです。忙しい方向きではないです。わたしはこの本を広げるたびに眠りについてしまいます。
 
 高祖の斬白蛇剣はもとは斬蛇剣とよばれていたものが、白帝の子である蛇を斬ったことから斬白蛇剣とよばれるようになったと言います。
 亭長をしていた当時の高祖は裕福ではなかった。ただ、このあたりは鉄を産地ですから、昔から精錬の技術も発達していたと思われるので、斬蛇剣は飾り気はないがよく切れる剣だったと想像しております。
 漢では天子出行の際には、侍中の一人は伝国の璽を負い斬蛇剣を操(と)る、とあります。高祖が持っていた剣の鞘や柄はおそらく飾り気がなかったと思われますので、刀身はもとのままで拵えだけは皇帝にふさわしい華やかなものに替えたのではなかろうかと想像しております。
 
孔子の屐(はきもの)
 これがどのような経緯で帝室に伝来したのか不明です。よくもまあ、こんなものが残っていたと感嘆するばかりです。
 
 王朝が交替すると、役所の庫は封印され新しい王朝に引き渡されます。このようにして伝えられていくのです。
 ここからは想像です。丞相だった曹操は人一倍、好奇心が強い気質、漢の庫に入ってこれらの国宝を見た、とわたしは思っています。