丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 六十六

         丁夫人の嘆き(曹操の後庭)六十六
 
 針仕事をしていると、見知らぬ女がわたしの中で「孟徳のような男の妻になるものではないわ」と、話しかけてくる。えっ。誰? おまえは誰? 
 「わたしが誰だか知っているくせに、わざと知らないふりをする」
 女は気分を害したのか、それっきり沈黙してしまう。ずいぶんと気まぐれな憑きものだこと。
 ふと、衞子許の妻のことを思い出して針を運ぶ手が止まった。
 「孝廉(こうれん)は朝敵をみごとに蹴散らし、壮士として名を残しましたわ。幼子も未亡人もこれ以上なにを望みましょう」
 子許の妻は弔問の客にけなげに挨拶していた。出征を見送ったとき子許の妻はわたしに、「いっそわたはを攫(さら)ってほしかった……」と、謎のような言葉を発したが、あの言葉を子許の妻は覚えているかしら? いっそ、わたしを攫って欲しかった……。いっそ、わたしを攫って欲しかった……。なんて素敵な言葉かしら? 
 わしを攫ってくれ。
 おれを攫ってくれ。
 余を攫ってくれ。
 あっしを、わたしを……。
 苦しくて辛くて生きにくい世だ、頼れる者はおのれ以外に存在しない。当てもなく彷徨い途方にくれているときに、神にも等しい大きなものに攫われたくなるのだ、身を任せたくなる。男も女も攫われたがった。ほんの一瞬、選ぶ道を間違えば命取りである。呼吸するように、人はいつも選ばねばならない。みながみな、百戯(ひゃくぎ。軽業など)の者のように空高く張り渡された綱を渡らねばならないのだ。恐怖と疲労の果て、人は大きな存在に身をゆだねる。
 遼東の果ての高句麗に逃げたかったわけではないが、曹孟徳という男はわたしをとんでもないものへと誘(いざな)った。といっても、世捨て人の暮らしを強いても孟徳につとまるわけでもあるまい。
 世間の男たちは口角泡をとばして知恵をしぼりあげて大義を唱え、神にも似た大義という大きなうねりに身を投じた。
 ふとわたしは思う。孟徳は騒乱を嘆くどころかむしろ喜んでいると。この男、もしかすると悪人かもしれない。なぜ、悪人なのか? 問われると説明に困る。ただ、悪人は人の不幸や悲嘆につけ込んで肥大する。だから、孟徳は悪人だとそんなふうにしか言えない。してみるとこの世は悪人だらけだ。董卓呂布もそうだけど、袁紹袁術も、孫堅とかいう田舎者の呉人も大悪人だ。
 為政は滅びたどころではなかった、ぼろぼろで風が吹けば灰のように飛んで跡形もないようなものだ。武力は富貴の表と裏の顔だった。銭を沢山持てば持つほど人を操れた。このうえもなく銭を持ちたい。董卓は雒陽の翁仲(おうちゅう)や飛廉(ひれん)などの銅像や従来の銅銭を鋳つぶして、粗悪な銭を大量に作った。すると銭ばかり増え、品が足りなくなった。関西では穀物一石の値が数十万銭にもなり、民は困り、銭は使われなくなった。 これでは何を食して人は命を繋いだのか……恐ろしい噂が届いてくる。
 
 ところで孟徳のような男が、わたしたちに無事を知らせるために、わざわざ虎の尾を踏むような危険を犯してまで博労をよこしたとは思えない。
何かあるとは思っていたが、やはりそうだった。
 
続く