丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 六十七

        丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 六十七
 
 
 博労は、密書をたずさえた史渙(しかん)という男の護衛をかねて酸棗にきたのである。無駄を嫌う孟徳のことである、護衛をかねて義旗の風向きや敵情を探らせているのだろう。
 義旗の本陣を遠ざかるのは孟徳にとって苦痛だったにちがいない。情報が少ないことにいら立っていたに違いない。情報は多ければ多いほどよい、少なければ諸事の判断を誤る。
 「わしは厨房で腕をふるうのみじゃ。情報を選り分けて料理する、わしにしか出来ぬ技じゃ」
 得意そうに孟徳は額を指で弾き、にやりと笑った。
 「あのような男が数百人もおればのう……」
 詭計で敵を翻弄するために、武将たちの腹の中を読むために、孟徳は博労のような男を養った。もし、博労が他の勢力につけば孟徳は躊躇なく博労を屠るだろう。そのときは博労もまた孟徳を……。いけない、わたしは今なにを考えたのだろう。
 
 渙は孟徳と同じ沛国(はいこく)の出て゛、漢朝の高祖が出た国だけあって漢家贔屓もいいところだ、字(あざな)を公劉と名乗っていた。孟徳が義旗を起こしたとき、同国のよしみで客として孟徳について回った。が、この男、この上もない美酒に酔うがごとく孟徳に酔うたらしい。公劉あるところ孟徳あり、孟徳あるところ公劉あり、まるで孟徳の影のように寄り添うて満ち足りていた。腕っ節自慢の大男が目を細めて小男の孟徳にくっついて歩くさまときたら、見慣れるまではおかしくてたまらなかった。慣れてしまえば公劉がつきそっていない孟徳が、なんだか偽者めいてみえるからおかしい。孟徳ときたら、そんなにも人を惹きつけてそらさないのかしら? 孟徳は流麗な弁舌で男たちを誑しこむのだわ、きっと。
 つき従うといえば、漢家の疎属である劉備がという男が、義旗のもとに集結しようと北方でたちあがり、河内(かだい)を目指していると聞くが、この微禄の者に、麗しい鬚をもつ身の丈九尺もある大男がつき従い、朝となく夜となく護衛しいいるそうな。美鬚の大男のめざましい働き、そのほかにも顔のなかばを鬚でおおわれた張飛とかの助けで、評判をあげている。
 「おかしな男に会うた。耳朶がここまで垂れさがって」
 孟徳は両手で顎のあたりを手で押さえる。
 「嘘でございましょ」
「いや、まことの話じゃ。面長で頬が豊かでのう、眉は跳ね上がっておる」
「漢家のお血筋はそのような面立ちをなさっておいででございましょ」
「おお、そうじゃな。漢室と血は疎遠で劉備、字は玄徳といった。戦はうまいとは言えんが人心を掴むのはうまい。学問は不得手とみたが人柄に余韻がある。あれこそ男の色気というのかのう? 一度会えばまた会いたくなるのじゃ」
 黄巾討伐から凱旋した孟徳は、楽しそうに首をかしげた。だから、孟徳が劉備にであったのは黄巾平定のときだったらしい。劉備はまだ役人に毛が生えた程度の官職しか拝命していなかった。
 
続く。