ママ、あなたの走り回る凶器に気配りを

         ママ、あなたの走り回る凶器に気配りを
 
 
 土曜日は最悪だった。
 低くたれ込めた雲はいかにも重さに堪えかねてざぁーっと泣きそうで、じとっと空気までが湿りを帯びてべたつく。
 私は二メートルほど先の横断歩道で信号待ちをするために、自転車をゆっくりと漕いでいた。歩行者が数人いたのでゆっくりと。
 音もなく女の人の自転車が私を追い抜いていく。あっ、危ない! 右にハンドルを切った。とのとき、右の前スポークにドンと何かがつっこんできた。あっと、見ると青と黄色に塗り分けたカラフルな子供自転車の前輪が、私の自転車の右前輪に食い込んでいる。幼稚園児らしい男の子は、どうしていいかわからず「ママー、ママー」と、前方に向かって叫びながらもがく。男の子の自転車をそのままバックさせれば、難なく抜けるのにぐいぐい前に押すばかりだ。
 子供の母親は二十メートルほど先で自転車をとめて、黙ってこちらを見ている。
さっき、危険な追い越しをしていった女性だ。ぐいぐい押すから、私はバランスを崩して右側に倒れ込んだ。倒れない方法はあった。こんなときは自転車を右にぽんと倒して、ぱっと自転車から飛び降りるとよい。でも、そうするとこの子供が二十キロはある自転車の下敷きになるだろう。そう思ったから、成り行きに任せて倒れたのだ。そして私が、自転車の下敷きになった。肩から足首まで、右半身を打った。痛い!
信号待ちの歩道だ、道路の向かい側でも人が見ている。のろのろと起きあがり、私の自転車の下から子供の自転車を引きずり出した。
 なんと素早い。その子供がぱっと自転車にまたがって一目散に走り出したのだ。
ごめんなさいも言わずに、だ。唖然として母親の方を見ると、無言のままの母親の後ろ姿がぐんぐん遠ざかっていく。これにも唖然とした。轢き逃げ予備軍はこのようにして作られていくのか? 踝をねじったらしくずきずきする。腰も、右手も痛い。痛い、顔をしかめていると「これ、落ちましたよ」と、荷台から落ちたレインコートを信号待ちのご婦人が拾ってくださった。
 人、様々だ。
 私は面倒なことが嫌なので、いつも自転車に乗った子供が来ると、いつも自分で避けるようにしている。子供の行動は予測がつかないからだ。中学生が道一杯に広がって歩いていると、自転車から降りて「お通しくださいね」と声をかけることにしている。彼女、あるいは彼らは「ごめんなさい」と、道をあけてくれる。「ありがとう」と答えるが、気持ちがいい。
 しかし、土曜日は最低だった。分別をもたねばならぬ母親がああでは、将来が思いやられる。
 しかもあの横断歩道のあたりは、電動車いすに乗った人をよく見かけるのだ。なんだか、特攻的突っ込みが常習の親子のように思えてきた。
 その日の昼過ぎから手首が腫れてきた。踝も腫れてきてズキズキ痛む。常備薬の大きな膏薬をべたべた貼ってふて寝した。