丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 一百四

        丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 一百四
 
              《 これまでのあらすじ》
 雒陽を制圧した董卓は、少帝劉弁を廃して幼帝(献帝劉協)を即位させる。この暴挙に董卓討伐の義軍が起こった。義軍は人望厚い袁紹を盟主に仰ぎ、関東の各地に拠った。意気たるや軒昂であるが、内心は董卓を恐れ、義旗のもとに集った者たちはて酒宴にいそしみなかなか戦おうとはしない。ただただ、日々集まっては論を戦わせて酒宴に明け暮れるばかりだった。「今こそ決戦の時」と主張する曹操は、酸棗の義軍を束ねていた親友の張邈を説いて出兵する。
 まずは雒陽攻めの拠点として成皋関を押さえよう。曹操は成皋関を目指して進むが、滎陽で董卓が派遣した武将に大敗を喫する。この戦で曹操の旗揚げに尽力した衛茲が壮絶な討ち死にを遂げた。曹操もまた股を負傷し、馬を失った。曹洪に助けられた曹操は彼の進言にしたがい兵員を借りに揚州へ行く。
 一方、黄巾の乱を起こした張角の孫娘は、金細工商の朱に守られて益州に逃れ、成都で成長したが婿を迎えることになった。博労の李は婚礼の祝いに「太平経」を、胡三明たちに届けさせる。
 太平の世なら、益州に赴くには長安から漢中に出て金牛道をとるが王道である。今、雒陽や長安董卓の勢力下にあり、それ以外の道はさらに険しく困難を極めた。
 そこで博労の李は三明たちに、荊州から水路をとって巴陵に入り、さらに北へと川を遡る道をとらせたのだ。
水上もまた盗賊の跳梁する場であった。安全な船を求めて彷徨う胡三明たちは、雒陽の名花といわれた美貌の歌妓と再会する。名を王月華といい、泣く子も黙ると恐れられた『江賊』の首領の妻になっていた。江水を我が庭とばかりに荒らす江賊の襲撃を恐れ、役人たちの船に便乗しょうと機会を狙っていたが、月華姐さんの仲介で商人たちが雇った船に乗ることができた。
 胡三明たちは巴陵からまた川を遡って、のちに德陽と名付けられた船着き場に着く。そこで金細工商の朱の出迎えを受け、陸路を成都に向かう。その道は思いの外、平坦であった。
 道中、旅の幻術師に身をやつした太平道の教祖の孫娘、張青玲にあう。成都から育ての親である「爺や」の朱を追ってきたらしい。

                 
                  第一百四回
 
  雲行きが怪しい。天の一角に頭をもたげた黒雲は、いまや空の半ばまで
 
黒い翼をひろげている。早朝に宿駅を発ってからしばしの休憩に、駄馬は
 
けんめいに草を食む。賃貸しの五頭の駄馬を曳く馬子たちは空を仰いで
 
眉をひそめていた。木陰で憩う三明の側で朱は空に目を向けたまま問う
 
た。
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    (四川省成都市 彭州市石牛角 ) 
 
 「ふふふ、まるでご政道のような雲行きじゃないか。なぜ曹公は戦に負け
 
たのだろう」
 
「……」
 
「曹公はもともと人望がないからのう。奇をてらって人を欺きよるそうな」
 
 どういうつもりなのか、追い打ちをかけるような手厳しい言い方である。
 
「戦に敗れたのは兵力の差です」
 
 むすっとして三明が答えた。
 
「なに? 兵が少なかっただと。兵が多ければ統率がとれずにかえって敗
 
れると兵書にはあるぞ」
 
 朱はあからさまに冷笑を浮かべた。
 
「そうでしょうか? それは慢心をいさめるための言葉にすぎない。大衆を
 
統率する指揮官の器が問われるているのですよ。ふさわしくない人を指揮
 
官に持てば、軍は破滅、兵士の屍は野に朽ちるばかり、人を得ないことほ
 
どみじめなものはありません。また大軍を指揮できる器の持ち主は古来、
 
希でございますよ」
 
「ほう、そんなものか」
 
「そんなものかとはまた人ごとではありませんか。朱殿の本意がわかりま
 
せん」
 
「ふーん、そうか」
 
「歩兵と騎馬とが戦うときは、およそ歩兵四人が一騎を囲んで戦えば歩兵
 
が勝ちます。歩兵と歩兵が戦うときは、敵の歩兵一人に対してわが歩兵二
 
人で当たれば勝つ。敵はわれらの四倍はあった。遮るものとてない野で、
 
われらは陣立ても整わぬうちに猛攻撃をうけて散り散りになった。まさに矢
 
の雨が降った……思い出しても背筋が震える」
 
 胡三明は拳を握りしめた。
 
「人望どころか器も小さいのではないかな? 曹操は」
 
「この世の中は何で出来ていますか? 先祖代々どうしょうもない殿様方
 
が政道の要職にあり、現世の富貴を貪ったために天下は乱れたのではあ
 
りますまいか?」
 
「ふむ……」
 
「田畑の耕し方もしらぬ殿様が、あれやこれやと難癖をつけて農夫の食を
 
奪う。食えぬ農夫があふれておる。学問ができても殿様の家柄ではないも
 
のは一生を下っ端役人でおわる」
 
「そんなに熱くなってどうする? 三明さんも若いね」
 
「どうするもこうするも……言わせてください。曹公は侯の爵位をもつ家柄
 
ながら宦官あがりとさげずまれ、正当に評価されていない。それにくらべて
 
袁紹袁術ときたら四世三公を出した家柄、この者たちの先代の引き立て
 
をうけて官途についたものは多い。引き立てられた者たちは世々、袁氏へ
 
の恩を忘れず主のように仰いでいる。儒学の教えを受けた者たちもまた、
 
師の恩を代々にわたって伝えてきた。だから袁紹袁術への味方も多いの
 
だ、それだけの話ではありませんか? 家柄や恩という衣装を剥げば、曹
 
公の輝きは袁紹たちをしのいであまりある」
 
「惚れたか? 曹操に」
 
「かもしれませぬ」
 三明は、はにかんだように目元に微笑をそよがせた。
「孫なんとかいう暴れ者の武将は曹操には目もくれず、袁術の配下になったぞ」
「ああ、孫堅のことですね。そりゃそうでさぁ。奴らは揚州者どうしで固まった」
「どういうことだ?」
「すべては黄巾の乱の平定に遡ります」
黄巾の乱……」
 朱は俯いた。
「乱の平定を命ぜられた皇甫崇は揚州会稽郡(かいけいぐん)の朱儁を自分の配下に抜擢しましたが、その朱儁は揚州呉郡の孫堅を抜擢して自分の配下としました。今でこそ呉郡に分かれましたが、先朝ではすべて会稽郡だった所です。揚州蘆江郡の周という豪族、これが袁氏の先々代あたりに抜擢されて官途についた一門でして、その縁で袁術を頼ったものと推察いたします。なぜなら、朱儁は張超という者の推挙で汝南の袁遺というものを部下に加えましたが、この袁遺という男は袁紹の親族でございますよ」
「ほう。これが洛陽で博労殿の身の回りの世話をしていた少年か……よい若者になられた」
 朱の声が湿った。
「いゃ、なぁに、とんでもございませんや。周知のことかとぞんじますが、蘆江郡の大豪族である周氏にないものは兵隊です、  豪族とはいえ格下の孫堅には兵隊がある。おなじ揚州者で朱儁とも知り合いとくりゃ、周氏が孫堅と手を結ぶのは心情としてわかります」
「うむ」
 「お客さんよ。急がにゃならんぞ。ごろごろぴかっと一雨来ますわい。三里ほど行けば飯屋だ、そこで雨をやりすごすがええ」
 馬子が急かした。
 なるほど黒雲は空を覆い尽くしている。
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 四川省成都黄龍渓の古鎮
 
 
続く(写真はすべてグーグルマップから拝借しました)