幽霊邸の一夜

        太平広記 鬼三十七 遊氏子より
 
 
           幽霊邸の一夜
 
許州の都である許の城西の北隅に張将軍の邸(やしき)があった。
 
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       河南省許昌市官衙遺跡
 
将軍もその父親もとっくに亡くなっており、子孫も遠くに居を移してしまった。荒れるにまかせた将軍邸はよからぬ噂が立ち、借り手がつかない。たまりかねたゆかりの者かたちが「住まいを探しているものがいたら邸をさしあげます」という木の札を村の入り口の門にかけておいた。
時に唐は僖宗(きそう)の御世、乾符(けんふ。AD874~879)年間のはじめ、許の町に遊氏の子がいた。この男は豪胆で拳法に自信があった。札をみるなり「僕は猛者(もさ)だよ。妖怪や幽霊など思い通りに退治してやる」と言い放った。
 
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   小林拳法 三槍刺身
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小林拳法 二指禅
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  虎牢関で拳法を鍛錬 陳式太極拳の達人の陳さん 
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陳式拳法の武術家 陳さん 
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村の門 一般的にはもう少し背が低い。   
ちょうど夏の真っ盛りだった。夕刻になると遊某は剣を携えて将軍の邸に入った。堂のなかには入らず、庭に竹のむしろをしいてそのうえに目の細かい葛布を敷いて座った。二時間ばかりそのままでいたが森閑として何事も起きない。「ふん、妖怪め、恐れをなして出てこぬ」と、遊某は拍子抜けすると同時に、退屈でもあった。剣を枕にして横になったが、それでも顔は堂にむけ、じっと堂を見守り続けた。さらに二時間、時を告げる鐘が鳴ったがその鐘の音がまだなりやまぬうちに、突然に後門がひらく音がした。遊某は、おやっと後門に目をむけた。
蝋燭のあかりが整列し、数十人の下僕が堂内を掃除し始めた。軒先の戸を開いて朱の簾をたらし、縫いとりがある帳(とばり)をかけると、敷物をしいて立派な器をならべた。妙なる珍しい香の匂いが柱や軒にまでみちた。遊某は「これは魑魅魍魎のなかでもごく小者に違いない」と思い、あえて捕まえようとはせずに成り行き見守った。しばらくすると楽器をもった朱と紫の衣をまとったものが数十人、東の廂(ひさし)から階(きざはし)を登ってきた。歌舞の女たち数十人が後ろ堂から前の堂へと進み出てくる。紫の衣をまとった者が前におり、朱と緑の衣の者、白い衣の者がそのあとに続いたが、この者どもは総勢二十人あまり、誰はばかることなく話したり笑ったりしていたが、席につくときはたがいにへりくだって譲り合った。座が定まると楽の音がながれ、杯が行きかった。その合間に舞人は舞い、歌妓は歌った。
今だ!  
遊某は突進してこの妖怪の首領を捕らえてやろう思い、身を起こそうとした。そのとき何かが股の間を押さえた。冷たくてとても重い何かが遊某の股間を押しつぶさんばかりに押さえているので、起き上がれない。大声で叫ぼうとした
が、口は大きく開いたものの肝心の声がでない。ただ、ただ、口をあけたままこの者たちの宴を眺めているばかりだった。
夜明け近く、門番の交代を知らせる厳鼓が鳴りだすとその者たちは席をあとにし、灯りもふっとかき消えてもとの静寂がもどった。
遊某は驚きのあまり背筋は冷や汗でぬれ、心の臓は破れんばかりにうち騒いでいた。腰が抜けたのか立つことができない。腹這ったままどうにかこうにか
村の門まで行き着いた。見るも哀れな遊某の姿に、門番は「どうなさった」と、問うた。しばらくは震えて口もきけぬ有様であった。それからというもの、その邸に泊まりたいという者はだれもいなくなった。
 
 
*許都は現在の河南省許昌市
 
*乾符(けんふ)は唐の僖宗の年号で874年旧11~879,年旧12月まで。
したがって乾符の初めは、文中に盛夏とあることから875年の夏である。
 
*最初の時を告げる鐘は現在の夜の九時であろう。
夜は初更(一更)、二更、三更、四更、五更あるいは甲夜、乙夜、丙夜、丁夜、戊夜ともいい、鼓を打って時をしらせたので一鼓、二鼓、三鼓、四鼓、五鼓ともいう。一更は夜の九時、二更は夜十一時、三更は午前一時、四更は午前三時、五更は午前五時に相当する。
 
*:厳鼓は本来、戒めて打つ鼓である。
唐制では乙夜、街吏が騎卒をつれて市中を巡行して乙夜であることを触れて回った。乙夜を過ぎて夜行するものは特別な理由がない限り、「夜行の禁」を犯したことになり、唐律では杖で叩かれる。
「厳鼓」の解釈に困った。乙夜と解すれば、遊某は夜行の禁を犯したことになるし、村の門は閉まっているはずだ。だから村の門までたどりついても開門の時刻まで待たねばならぬ。
 グーグルで検索していたら韓国の徳寿宮の王宮の衛兵の交替式の写真が出ていて、そのとき「厳鼓(オムゴ)」を打ち鳴らす。
ここでも厳鼓は城門をまもる役人たちや街吏の交替を告げる鼓と解した。そしてそれは早朝の開門前のことと解した。強引な解釈かもしれないが、乙夜だとすると時間的にどうもしっくりこない。
 
 見た目ではなんとなく意味を解していてもそれは独りよがりで他者にわかってもらおうとすると、色々と苦労します。汗。汗。
 
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値100万元の紅山の玉龍に驚くカンフーの写真の撮影者
あまりにも表情豊かで楽しそうなのでアップです。富裕層でしょうね。チベットから遼寧省まで旅行されています。
なお、写真はすべてグーグルマップよりお借りしました。