敵(かたき)を討つ女
敵(かたき)を討つ女
博陵(はくりょう)の崔慎思は、唐の貞元(ていげん)中に進士の試験をうけるために上京した。
長安に邸(やしき)を持っていなかったので、賃貸の空き家をかりた。
慎思はこの女に思いを募らせた。
とうとう思いのたけをうちあけて妻になってくれと頼んだ。博陵の崔氏といえば、押しも押されぬ名門だ、この求婚を喜ぶかと思いきや、女は断った。
「私は士太夫の家の者ではございませんので、あなたとは身分がつりあいません、あとになって恨まれるのはいやです」
女はきっぱりと断った。
「……」
なんと潔い女だろう。断られても慎思の思いは募るばかりだった。
「妻がだめなら妾になってくれ」
半ばやけっぱちでふざけて見た。
「よろしゅうございます」
怒るどころか女は承諾した。それで女の姓を聞いたが言おうとしない。不思議な女だ。
慎思はついにこの女を側女(そばめ)にした。
二年あまりが過ぎた。
崔が必要とする品々を、女は心をこめてそろえた。のちに女は一子を出産した。数ヵ月後のことだ。夜、崔は戸を閉めて帳を垂らして眠っていたが、夜更けに目を覚ますと女がいない。崔は驚いた。ちょくちょく女は出歩いたので、きっと間男がいるにちがいないと思った。そう思うと、ふつふつと怒りがこみあげ、憤然として起き上がると堂の前をうろうろした。
「私の父は昔、罪もないのに郡守に殺されました。敵に報復しようと都にきてすでに数年、機会にめぐまれませんでした。いまようやく剋(ころす)ことができました。ぐずぐずしておられません。これにてお別れでございます」
言い終わると女はついに旅装をととのえ、灰色の袋に仇の首をしまった。
「あなたの側女になって二年、一子を授かり幸せでした。宅(やしき)と二人の召使はみなあなたに差し上げますから、この贈り物であの嬰児を養い育ててくださいな」
言い終えると女は墻(かき)をこえ舍(いえ)を越えて去ってしまった。慎思は驚くやら感嘆するやら、複雑な思いがこみあげてきて呆然としていた。まもなく女はもどってきた。
「行こうとしたのに、子に少し乳を飲ませるのを忘れていましたわ」
そういって女は部屋にはいった。大分経ってから女が出てきた。
「子はすでにお腹がくちくなりました。これにて永のお別れです」
そういって女は去った。
大分経ってから慎思は、嬰児が泣かないのを訝しく思い、部屋に入った。
泣かないはずだ、子はすでに殺されていた。
女がわが子を殺したのは、子への愛情が逃亡の妨げになるからだ。古の侠(おとこぎ)といえどもこの女の勝る者はいないだろう。
注*博陵(はくりょう)
古の斉国に属す。今の河北省にかって存在した郡、県。
注*貞元(ていげん)
唐の徳宗の年号で785年~805年まで。
太平広記 豪侠二 崔慎思より Chinese Text Projectより 拙訳