不思議な葫蘆(ふくべ)
唐の元和(げんわ)中のことである。
いつもの風が歇(や)むと、嵩山の少林寺に一人の老人が馬の鞭を杖について門を叩き、宿を乞うた。寺の者はすでに寺門を閉めたので、開けることはできないとして、寺の外の空室二間を指し「勝手に泊りなさい」と請うた。
その空室には床がなかった。地べたで寝るより他ない。老人はその部屋入った。
二更後、僧は起きた。
注*元和中
元和は唐の憲宗の治世の元号で、西紀806年8月~820年12月までの間。
注*二更(にこう)後
午後十時すぎ
午後八時を初更。また一鼓という。
午後十時を二更。
十二時を三更。
午前二時を四更
午前四時を五更という。
僧はすぐに寺の門外がたいそう明るいのを見てとった。不思議に思ってこれを視た。明りは老人が泊っている屋内から洩れていた。そこで室内を覗くと、あのがらんとした部屋は、敷物がしかれ、緑色の幕がはられていて、たいそう華やかである。いつの間に、誰が用意したのか、老人のまえに並べられた酒肴を見た。老人は飲み食らい自若としている。だが、そばに僕(しもべ)などいなかった。ひとりでどうしてここまでできるのか、僧は不思議でならない。
またあえて開門して問いたださず、多くの僧とともにこれをうかがっていた。のである。
五更後に老人は起きて盥(たらい)で顔を洗い終わると、懐から一つの葫蘆(ふくべ)を取り出した。大きさは拳(こぶし)ほどである。
注*原文は葫蘆子(ころし)
葫蘆とは夕顔、ふくべ、ひょうたん。ここでは「ふくべ」と訳した。
子とは物の名にそえる接尾語。
注*五更後
午前四時過ぎ
老人はついに敷物や帳(とばり)、幕を取り、およそ使った調度や器物の類すべてを葫蘆のなかに収めてしまつたが、一つとして収まらないものはなかった。一切合財収めてしまうと葫蘆を懐中にしまった。空っぽになった室内は、元通り殺風景だった。
これをみた寺僧はおどろくと同時に異能の人だと見抜いた。門を開いてそれぞれが言を請うた。老人は辞退するのみである。僧はここに住むように老人を止まらせようとした。その姓名を問うたところ姓は潘氏で、南嶽から太原に北遊する途中だと答えた。その後、時々この老人を見かけた者がいた。
注*南嶽
五嶽の一つで衡山をいう。
注*太原
今の山西省太原市
太平広記 道術五 潘老人 Chinese Text Projectより 拙訳