馮燕の侠気(おとこだて)上
唐の馮燕(ふうえん)という者は魏州の豪(おとこだて)だ。父祖は名もない庶民だ。
燕は若いころから任侠を気負っていた。もっぱら撃毬、闘鶏の戯れに明け暮れる日々だった。魏の市で財を争って殴りあう者がいた。燕はこれを聞くと出かけて行って不平をいう者を打ち殺した。そして田間にひそみ隠れたが、役所の追求が厳しいのでとうとう滑(かつ)の地に逃亡した。滑ではおおいに軍中の少年たちと鶏や毬のことで気があった。
時に相国の賈耽(かたん)が滑を鎮(しず)めていた。燕の才能を知ると、耽は燕を軍中にとどめ置いた。
後日、燕が軍営を出て村里をぶらついていると、入口のあたりで袖を翳(かざ)して燕を覗き見る婦人がいた。なんともなまめかしい美貌だった。人を使ってそっと女の気持ちを探り、ついに女の部屋に通う仲となった。
女の夫は滑軍の武将で名は張嬰(ちょうえい)といった。嬰が類(なかま)とあつまって酒を飲んだ。その隙に燕はまた張の妻と情を通じ、寝室の戸に鍵をかけておいた。張嬰が帰宅すると女は戸を開けて迎え入れ、燕を彼女が纏っていた衣の裾で覆い隠した。燕は寝台の陰に潜んでいたが、体をかがめて音をたてぬように歩くと、女の衣の裾にかくれた。そこから隙を見て扉の後ろに隠れた。あわてふためいたので、寝台を離れる時に巾(ずきん)を枕の下に落としたままだった。巾は佩刀の近くにあった。
ところで張嬰は酔いつぶれていて、寝台に横になるとすぐに目を瞑ってしまった。
燕は巾を取ってもらおうと、巾を指差すと女をみた。女は巾の傍の刀を取って燕にわたした。燕は女の顔をまじまじと見つめた。そしてその頸(くび)を断ち斬ると、巾を拾って立ち去った。
あくる朝、嬰は目覚めて、妻が殺されているのをみて愕然とした。日ごろから嬰は妻の浮気を疑い、妻に暴力をふるっていた。もしかしたら、酔っ払って殺してしまったのかもしれない。思い悩んだすえに、役所に出頭しようと思った。
嬰の隣人たちは本当に嬰が殺したと思いこみ、嬰を留めて縛りあげた。それから妻の黨(ともがら)のもとに行くと、このことを告げた。するとみんなが押しかけてきて言う。
「いつも妬いて、うちの女(むすめ)を殴ったよ。それでさぁ、過ちがあれば、無いことをさもあるように言いたてて罵った。今度はまた女(むすめ)を惨い殺し方をしたんだ。言い逃れはできないよ。人を殺しておいて、一人のうのうと生きるつもりかい」
みなで張嬰を支えて笞うつこと百余におよんだ。ついに嬰は弁解できなかった。
嬰は殺人罪で役所に収監され牢に繋がれた。あえて嬰のために弁明するものもいない。嬰はその辜(つみ)に力ずくで従わせられた。
そして死刑の日がやってきた。司法官と小役人あわせて数十人が嬰をとりかこんでささえ、刑場へと引きたてていく。見物するものはなんと千余人にも及び、固唾を呑んでぐるりと刑場を取り囲んだ。
そのときである。一人の男が見物人を押しのけながら現れ、喚いた。
小役人は言いだした男を執(とら)えたが、その男はなんと馮燕である。驚いて燕と一緒に州の長官、賈眈に目通りした。眈の問いに燕は、きれいさっぱりと事のなりゆきを述べた。
賈眈はこの事を書状にしたためて朝廷に奏上し、あわせて刺史の印を返上することを請い、燕の死罪を贖ったのである。皇帝はこれを誼(よし)とされ、詔を下して「およそ滑城の死罪の者はみな罪を免ず」と命じた。
(沈亞之の馮燕傳による)
注*冶(や)
なまめかしい
注*魏州
注*滑州
唐では河南道・滑州。治所は白馬県で、今の河南省滑県に相当する。
注*撃毬(げききゅう)
手毬をうちなげて優劣を競う技
注*相得(しょうとく)
ものごとが皆よろしきにかなう。
気があう。
注*他日
一、 今より以前の日。前日。以前。
二、 そのことがあってから後の日。後日。
三、 この後の日。いつか。今後。異日。
注*熟
知る
注*従
あつまる
注*偃(えん)
伏す。倒れる。かくす。かくれる。
注*蹐(せき)シャク、セキ
ぬきあし。さしあし。音をたてぬようにあるく。
注*戸扇(こせん)
とびら。門扉
注*黨(とう)
ともがら、なかま。
注*廼(ない、だい)
迺(だい。ない)の俗字
一、 驚いた時の声
二、 ゆく
三、 いたる
四、 とおい
五、 すなわち
六、 はじめて
七、 この
八、 なんじ
注*誣(ム、ブ)慣フ
一、 しいる ないことをあるようにする なみする。ないがしろにする。
まげる。功がないのに賞をむさぼる。
二、 あざむく
三、 人におもねる。
四、 みだりにする
五、 そしる
六、 けがす
注*賊殺
そこないころす
注*彊服
いやいやながらしたがう。力ずくでしたがわせられる。
注*持朴 持樸におなじ。かざらない、
とりかこみたすける?
中国サイトの訳文ではみな、「刀を持った数十人の役人にとりかこまれて」
直訳では「とりかこみまもる」である。なるほど、囚人護送の役人は武器を携帯していたと思われるが、原文にはどこにも刀の文字はない。
注*団囲
注*且
まさに、将に通ず。
注*竊(セツ、セチ)
一、 ぬすむ。ひそかにとる。行ってぬすみとる。おかす。
二、 ぬすびと
三、 ひそかになど
この話は唐代、貞元年間(785年~805年)に滑州で発生した事件に基づいて書かれた。この作者である沈亞之は、史実を史官のように実に淡々と記録した。唯一、えっと目を引いたのは、巾と刀が近くにあったという描写である。これが事件の伏線になるが、それまでの女への一途な思いが、一転して殺意にかわる。その鮮やかさ。
時代の男たちは馮燕を「男よ、のう」ともてはやす。
つきつめれば喜怒哀楽の情に国境はないと思っていたが、なにゆえに『馮燕』なる男が、豪侠ともてはやされたのか、ぴんとこない。
もやもやした思いを抱いていたら、やはり現代女性が噛みついていた。
馮燕傳は女性蔑視の産物だと。