同窓会――私が投げ飛ばした男の子

   同窓会――私が投げ飛ばした男の子

  中学校の学年全体の同窓会があり、記念写真が届いた。怖い顔をしたIが背後霊のように私の横にへばりついている。すこし間をあけて、遠慮がちに。
 
 三つの小学校が集まって一つの中学校です。私たちの学年は不登校生をいれて五百五十人くらいいました。出席したのは七十五名。道ですれ違ってもぜんぜんわからないわなんて、口々に言いあって笑いさざめいていたのです。
 堺は環濠都市で、中学は濠の外にあり、私たちの小学校は濠の中。校区は紀州街道ぞいに南北にのびていました。テレビ番組などで紹介される鉄砲鍛冶の子孫が刀匠や刃物を作っていて、なぜか自転車の部品をつくる工場がひしめいていました。我が家は自転車のハンドルとブレーキを作っていました。お隣は自転車の車体、つまりフレームを作っていました。したがって私は「ハンドル屋の娘(こ)」と呼ばれていました。道を歩いていると知らない大人が、「見てみぃ。ハンドル屋の娘や」と噂していたりします。
 同窓会でも幼馴染みが、「△△ちゃん、ハンドル屋の娘やんか。なあ」と、口走ったので、遠い日がありありと蘇ってきました。私の家の周りは黒い煙をもくもく上げ、煤をまき散らすブリキの低い煙突をたてた工場だらけでした。
 入学した中学は評判の「ガラが悪い」という中学で、越境させるお家もありました。

 同窓会の会場で、目つきの悪いおっさんが、「あんた○○さんか?」というのです。
「はい」と、頷くと、「名前は△△だろ?」と睨みながら言うのです。少しびびりながら
「ええ」
「よく覚えてるやろ。Iや、ぼくはIやがな」
 なぬ、おまえはIか……。Iの消息を知ったのは、このときが初めてだ。

 中学一年のときの春だったかな……。
同じクラスのIは乱暴者で、Iと目が会っただけで男子は殴られた。勿論、女子だって遠慮なく殴る。髪の毛を引っ張る。殴られていない子は少数だった。悪ばかりグループでかたまり、因縁をつけていた。
 ある日、ついに私が目をつけられた。「おまえは嘘つきだ。兄貴がいるくせに、いないと嘘をいう。俺を舐めとるのか」といって、ドンと突き飛ばした。「嘘なんかついてない」。ドンと突き飛ばしかえした。心配そうに私たちを取り巻いていたクラスメイトから、どっと笑い声が沸いた。するとIは頭に血が上って私の頬を平手打ちした。なんで。私はIの頬に平手打ちをお返しした。さらに大きな笑い声が周りであがった。するとIは、猛烈な勢いで私に向かって飛びかかってきたのだ。私はぱっと身構えた。少し腰を落とし、彼の間合いを読んだ。そして彼の両手を掴み、足払いをかけると、一気に手を放した。Iはみごとに尻餅をつき、呆然とした顔で私を見上げた。笑い声の渦がわき起こった。
 私にしたら、技をかけ損なったら、セーラー服の胸ボタンがはずれて「おばシャツ」がまるみえだ、スカートがまくれ上がったら下着が丸見えだ、なによりみんなの前で、こんな子にのしかかられたら、明日から転校だわ。それで必死だった。

 それからIは大人しくなった。もっぱらよそのクラスに遠征して悪さをしていた。
 男子が女子に投げ飛ばされた。
 噂は風のように校内をかけぬけた。他所のクラスや上級生たちが、休憩時間になると私のクラスをのぞきに来た。胸の名札をまじまじと見たり、私と顔があうと露骨に笑う。くすくす笑いや爆笑に、耐えに耐えた中学一年生だった。でも、下着を見られなくてほっとした。

 記念写真のIは私から少し離れて、私の横に並んでいた。
 だいぶ呑んだらしくろれつの回らぬ舌で「○○さんには兄貴がいただろ? 僕の兄貴と友達の」と、中学一年の時と同じ質問をする。
「あれはね、叔父さんの子で私の従兄弟です。私のことを妹だと言いふらすのよ」
「ふーん、従兄弟やったのか」
ようやく納得したらしい。
 口を利いた記憶に乏しい秀才くんが、カメラでぱちぱち写真撮っては、「君はだれだっけ」と聞くから「○○です」と答えると、「君とこのお父さんは会社してて、柔道の選手だったね」ときた。「なんで知ってるの?」と問い返すと、にやにやした。「ああ、男の子を投げ飛ばしたからね。Iならあっちにいるよ。昔は痩せていたのに、今は動物園の象になりやがってなんて憎まれ口叩いてた」と、Iの赤シャツを指さしてやった。
 秀才君の言葉に同窓会の連中は、たいていこのことを知っていると悟った私は二重人格なのか、人格崩壊をきたしてしまった。うわべはなよなよと女言葉を口にするが、心の中はすっごく男性的になってしまい、「おーい、××」とか「おお、そうか、おまえらがんばれよ」とやわらかい物腰とは裏腹に、心の中で叫んでいるのだ。
 Iの奴、あれ以来、去勢されちゃってとんと噂を聞かぬ、悪いことをしてしまった。という、積年のしこりが(といっても、心配などしていなかったけど)とけた同窓会だった。Iさんは、ろれつが回っていないと思ったら、会場で二度もぱたんと倒れ、大事をとって救急搬送となりました。Iさんは、私に会うと倒れる宿命を背負っているらしい。
 なお、私は中学に入学するまえに毎日、父親に柔道の受け身の特訓で投げ飛ばされていました。自分の子供が泣かされてきたらたまらんという親心からです。この一件で、母が父に、「嫁のもらい手がなくなる」と苦言を呈したので、特訓はとりやめとなり、私もすっかり技を忘れてしまいました。しかし、同窓会以来、私の中に男性的なあまりにも男性的なもう一人の存在を発見したのです。