お皿の思い出

          お皿の思い出

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 このお皿、私のお気に入りです。
 阪神淡路大震災の数年前、心斎橋のD百貨店で買いました。当時、私は本町の小さな会社に勤務していた。宮仕えはストレスがたまってしかたがない。だから週末になると、職業訓練校時代の友人と誘い合わせて地下鉄の御堂筋線界隈をぶらついた。 その日は百貨店のバーゲンにいくことになった。
 バーゲン会場って面白いのですよ。初対面の店員さんが「お客さんが着るブラウスですか? ちょっとお待ちくださいね」なんて言って、奥へ引っ込んで「これ、初めて店頭に並べますけれど、いかがですか? お似合いですよ」と、素敵なのを持ってきてくれたりする。働くものの連帯感がひしひし伝わってきて、ストレスなど飛んでしまいます。ああ、いい日だったといそいそと帰路につける。
 
 このお皿を買った日はそうではなかった。「あら、可愛い」と、見た瞬間気に入った。そばにいた店員らしき若い男性に「すみません、これ三枚ください」。すると彼の顔が引きつった。わなわなと唇を震わせて、少し離れたところにたっていた年配の男性のところに駆け寄るではないか。 何でしょう、あの人。呆気にとられて私はぽかんと口をあけてしまった。
 「瀬戸物は五個単位でうるものでしょ。三枚くださいというのですよ、三枚、僕どうしたらいいのでしょ‥‥‥」
 背もすらりと高くなかなか好男子、びしっとスーツを着こなした大の男が、小さな子供のように、泣かんばかりにめんめんと訴えているのだ。年配の男性は「うん、うん」と、やさしく彼の訴えを聞きおわると私のそばに来て、何事もなかったようにお皿を三枚包み始めた。
 セット売りではない、五枚セットで値段がついていたわけではない。一枚、いくらとプライスカードがついていたのだ。食器棚はお皿だらけで置くスペースを確保するのが大変、五枚も買ってられないわ。憮然として私は売り場を立ち去った。

 想像してしまう。あの男はどこかのぼんぼん、どこかの会社の二代目で、「可愛い子には旅をさせろ」という親心で、仕事を覚えさせるために親が百貨店に頼み込んで入社させたのではないだろうか、と。 

 お皿は阪神淡路大震災のとき、食器棚の扉がばーんと開き、空飛ぶ円盤のように飛びだしていって割れた。もう一枚はこの間、割ってしまった。最後の一枚を見るにつけ、あのときの青年は一人前になったかしらと思いを馳せるのである。