妖(もののけ)の涙――小説 玉璽物語十二

   妖(もののけ)の涙――小説玉璽物語 十二
 
 杏姐さんは袖で口もとを覆って欠伸をひとつした。ああ、もうすぐ眠りにつくのだ。

「お休みの歌を聞かせてくれる黒衣郎はどこにいるの?」

 私はきょろきょろあたりをみまわした。黒衣郎はどこへ行ったのだろう。次の春まで姐さんは眠るというのに」

「旅です。黒衣郎は旅に出た」

「えっ、旅に。姐さんを置いてどうして?」

「現世のしがらみです」

「現世? うふふ。白馬寺の沙門みたいなことをおっしゃる」

「烏の若者たちが姿をけした」

「まあ、なぜ?」

「この世の北の果てにある海へと旅に出た」

「北の果てにある海ですって」

「ええ、確か……バヤガルの湖(うみ)と言っていた。若者たちは待てど暮らせど戻ってこない。そりゃそうよ、この世の北の果てですもの」

「バヤガルの湖……初めて聞く名だこと」

「おふくろさんたちが黒衣郎をとり囲んで毎日泣くので、黒衣郎は兵士を率いて探しに行ったわ」

「なんてこと。よその烏の縄張りを荒らすと戦でしょ。うまく話をつけられるといいけど」

「ええ、心配でなりません。……バヤガルの湖(うみ)はこの国では北海と呼ばれています。北海まで、烏仲間の通行証が物をいえばよいのですが……、無事にもどれるかどうか

「北海ですって

 私は目を丸くした。

 

 わがじ鳥(じちょう)族の長(おさ)が若者だった頃、地の果てを見ようと旅にでた。北の森をはるかにこえて飛んでいったが、大地はどこまでも続いた。長は、草原の向こうに壁のように横たわる陰山の山並みを見た。風は嵐さながらに吹きすさび、山越えをするには翼はあまりにもか弱かった。このときほど長はちっぽけな鳥の身を悲しく思ったことはない。

涙をのんで長は陰山にそって西へと進んだ。力尽きようとしたとき高闕(こうけつ)にたどりついた。そこだけふっつりと陰山が途切れていて、まるで都の宮門の門柱のように切り立つ岩肌が高くそびえていた。それゆえに高闕と呼ばれていたのだ。そこには要塞が設けられていて、高闕をでて北へと行くと見渡すかぎり草原が広がっていた。もうそこは匈奴の国で、羊や牛が群れていた。彼らが吹く胡笳(こか)の音が物悲しく草原を渡っていき、長は故郷やはらからを思って泣いたという。長はこのとき初めて北の地の果てに、北海というものがあることを知った。

 東の世界で漢の都、長安が一番輝いていたときのことだ。北にも南にも長安にかなうような都はなかった。西の世界にある大秦国の都だけが長安にひけをとらぬそうだ。

 長安がこの世ならぬ輝きを放っていた頃、蘇武というものが漢の武帝の命をうけて匈奴の国へ行った。匈奴単于(きょうどぜんう)は蘇武を屈服させようとしたが、蘇武は漢の使者の節を持ったまま匈奴に屈するのを拒んだ。そのために北海のほとりに流されて羊の番をさせられた。蘇武は漢の使者の節を手に持ち、羊の番をすること十九年、ようやく帰国することができた。

 

 流刑地である北海のほとりが、決してよいところだとは思えない。

「なぜ、若者たちは旅に出たのかしら?」

「きっと、あの古い言い伝えのせいです。それでバヤガルの湖(うみ)に恋い焦がれるようになったのですわ」

「言い伝えですか」

「ええ。匈奴の間に『バヤガルの湖には黄金の杯と美女が眠っている』という言い伝えがあるそうよ。バヤガルの湖水は玻璃(はり)のように澄んでいて、黄金の杯と美女が見えるというのです」

「まあ……

 若者の冒険心をくすぐったのは、黄金の杯と水の棺(ひつぎ)に眠る美女だったのか。黄金の杯はまだしも、美女は形骸をとどめているだろうか。それなのに若者たちは虹をつかむような旅に出た。おお、若者とはそういうものかもしれない。

「地の果てに旅立った者たちはどうしようもないではありませんか」

「ええ、そうですとも。捨てておいても誰からも非難されないでしょうに」

「なのに探しにでかけたのですね。さすがに黒衣郎だわ、侠気(おとこぎ)がある」

 今更のように私は黒衣郎の勇気と度量に感嘆した。

「無事に戻れるかしら?」

「きっと姐さんのもとに無事に戻ってくるわ」

「そうよね。黒衣郎は並の烏じゃない。烏のなかの烏、不思議な力を持つ烏ですもの」

 杏姐さんはようやく愁眉を開いた。そして袖で口を覆って欠伸をした。姐さんが次の春まで眠る日はいよいよ近い。

「趙姐さん。くれぐれも匈奴の矢には気をつけてね。それに……おお、考えるのも恐ろしい」

 杏姐さんの眠たげな声が震えた。

「何をそんなに恐れておいでなの」

「ここだっていつ戦場になるかわからない。あなた方はどこへでも逃げることができるけど、私はどこへも逃げられません。兵士がやってきて私を切り倒して城攻めの道具を作るかもしれない。私を薪にしたりするかもしれない」

「ああ、姐さん。よしましようよ、悲しいお話は。もしものときは姐さんの木から蘖(ひこばえ)が生えていないか探してみる。蘖をみつけたら大事に守り育てるわ。心配なら姐さんの実をもいで種を大事にしまっておくことにする」

「きっとよ」

「ええ、きっと」

 私の言葉に杏姐さんは微笑んで釵(かんざし)で姐さんの木の根元に『黒』という字を彫った

「これが目印ですよ」

「ええ」

 私はこくりと頷く。次の春も杏姐さんに会えますようにと願いながら。

 

人界の初平二(191)年は、杏姐さんが心配したように戦続きの年だった。

春二月に呉の命知らず、孫堅董卓を倒すため雒陽(らくよう)に進撃し、雒陽を董卓から奪いかえした。華々しい戦果である。快挙である。ところがこれを苦々しく思った者がいる。義兵を起こしたものたちの間に不和が広がりだしたのだ。不和のもとは盟主の袁紹だ。けれども袁紹と断定してしまうのも意味合いが少しちがう。不和の種をまき散らしたのは袁術である。けれども袁術のみを責めるのも少々おかしい。


続く


注一

バヤガルの湖(うみ)

 バイカル湖の古名


注二

 じ鳥の「じ」という文字は

 「次」の下に「鳥」という文字がついた字です。

  その飛ぶところ国が滅ぶというまがまがしい鳥です。←『山海経』より。