広陵の花売り

          広陵の花売り


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鄂州から望む長江        写真はグーグルマップより。


鄂州(がくしゅう。湖北省鄂州市)に若い武将がいた。名を「なにがし」と記しておくが、姓はここらあたりの有力者と同じ姓だ。といってもなにがしは、もともと、あまりぱっとしない家の出だ。
 
このなにがし、出世欲に取り憑かれた。有力者と後ろ盾にする者は能なしでも出世していくのに、なにがしには後ろ盾がない、手づるがない。大手柄でも立てないかぎり出世とは無縁だ。やっかいなことに、大手柄を立てるような好機は一生に一度巡ってくるか来ないかという代物だ。手っ取り早くて確実なのは、土地の有力者の娘婿になり、その引き立てで出世することだ。幸いなことに、なにがしは好男子で女どもに騒がれていた。なにがしは計をめぐらせた。
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湖北省鄂州市 グーグルマップより
 
なにがしの妻が里帰りをすることになった。里帰りをすすめたのは、恐らくなにがしからだろう。
「盗賊が横行しておる。物騒だから実家まで送って行こう。久しぶりではないか、おまえの父母にも挨拶せねばならぬ」
夫の言葉に妻は幸せをかみしめ、里帰りの日を指折り数えて待った。
 
なにがしは里帰りする妻に付き添い、船で鄂州から江水を下っていった。その途中で妻を殺して水に沈めてしまった。口封じのために同行していた婢(はしため。女奴隷)も殺して水に沈めた。そしてなにがしは妻の実家に血相を変えて駆け込むと、大声で泣きさけんだ。
「ちょっと用を済ませているうちに、盗賊に妻を殺されてしまった」
大声で泣きながら、悲痛な声で叫ぶなにがしの様子は、いかにも哀れで見る者の涙をさそい、誰一人としてなにがしを疑う者はいない。
鄂州にもどったなにがしは、ほどなく土地の有力者の娘を娶って順調に出世していった。婿養子なのか、妻の姓を名乗るようになった。
 
数年が経った。
なにがしは使者になって広陵江蘇省・揚州市)に行き、宿屋に泊まった。宿屋をでたときなにがしは、こちらに歩いてくる花売りを目にした。
「おや、これは……」と、思わずなにがしは目を瞬いた。
「いや、そんな、はずはない」と首をふった。あの婢(はしため)なら確かに俺が殺して水に沈めたぞ。
殺したはずの婢にそっくりな花売りは、しだいにこちらに近づいてくる。
なにがしの目は花売りの顔にくぎ付けになった。思わずなにがしは立ちどまる。
花売りはなにがしを認めるとにっこりと笑い、丁寧にお辞儀をした。
「おまえは……おまえは人か?……亡鬼か?」
 問うた声が上ずっていた。
「まあどうしてでございますの。人でございます、人。郎君(わかさま)はおかしなことをおっしゃいますね」
 花売りはおかしそうに笑った。
「……」
「お別れして久しゅうございます。健やかな郎君のお姿を再び見る日が来るとは思いもよりませんでした」
 花売りの声が湿った。
「……」
「いつぞやは盗賊に襲われ、水に沈められました。気が付くと商人の船の中に居ました。通りかかった商人の船に拾われたのですね。そのまま東へ下る商人の船で広陵に着いたのでございます。それからというもの、娘子(おくさま)と花を売ってどうにかこうにか口に糊しております」
 婢の口ぶりから察すると、水に沈めたのが俺だと悟っていないと安心すると同時に、そこはかとない哀れさに心が揺れた。
「そうか……、あれはどうしておる、どこにおる?」
 今の妻はなにかにつけ実家を笠に着て威張り散らすが、あの女は気立てがよかった。
「この近くでございます。郎君はお忙しそうですがちょっとお時間いただけますでしょうか? 娘子(おくさま)」
「時間ならあるぞ」
 なにがしは部下をちょっと振り返った。いざのときは部下を府寺(やくしょ)に走らせ、少し遅れると伝えよう。
花売りのあとについてなにがしたちは大通りを少しばかり曲がった。そこら一帯はあばら家が並んでいる。花売りはその一つを指さした。
「あれでございます。ここでしばらくお待ちくださいませ、娘子(おくさま)に知らせて参りますわ」
そういうと花売りは家の中に姿をけした。
しばらくすると元の妻が姿を現した。
思いがけない再会に、なにがしも元の妻も抱き合ってさめざめと泣いた。そして元の妻は、なにがしと別れてからの苦労をめんめんと語った。なにがしもまた聴くちに悄然となり、女たちの苦労を思いやるのだった。
しばらくすると食事と酒の用意がととのい、妻の部屋に招き入れられた。なにがしの部下にも飲食がふるまわれ、みな心地よく酔ってしまった。部下が酔いから醒めるとすでに日は傾いていた。「や、これはよく眠ったぞ。お頭はどうなさった」と、主を待った。いつまでたっても主は部屋から出てこない。部屋はしんと静まり返り、しわぶきの声一つしない。日はすでに暮れていた。「まずいぞ、夜行の禁にひっかかる。主殿、日は暮れましたぞ」と声をかけた。しかし、何の応答もない。「失礼つかまつる」と、部屋の前まで行きのぞいてみた。しんと静まり返ったまま人の気配がない。部下はつかつかと室内に踏み入った。目に飛び込んできたは横たわる一体の白骨で、そのそばに、ずたずたに引き裂かれた主が着ていた衣の残骸があった。そしておびただしい血が、底が抜けた床の上や地面を赤黒く染めていた。驚いた部下はその隣家の門をたたいた。
「ちと、訪ねるが、あの家にはどんな人が棲んでいるのかね」
 部下が尋ねた。
「なんだね。がちがち震えていなさるが、どうかしなすったかい?」
「隣の家にはだれが棲んでいるのだ」
「だれが棲んでいるかって? おかしなことを聞きなさる、隣は空き家さ。空き家になってずいぶん長いよ」
隣家の者があきれ顔で答えた。
さては、あの女どもは亡鬼だったのかと部下はへなへなとくずおれた。


原作は太平広記応報二十九
鄂州の小将(わかい武将)より。
注*広陵
 現・江蘇省揚州市
  長江の水運を利用した交通の要所である。
注*小曲
   すこし曲がる
   はやり歌
   というようないみですが、中国サイトの解釈のなかに
   娼窟というような意味もあったように思います。いま、ぐぐると以前は見られたのに、今回はうまくヒットし      ません。西晋の洛陽にあった「狭斜(きょうしゃ)」は左思の詩に出てくるいわゆる魔窟ですし、広陵にも     安価な娼婦館がたちならぶ魔窟があったはずだと思います。この話にはやはり魔窟が似つかわしい。
注*元の妻の家
   結構、裕福な家らしい。婢にかしづかれているからである。
   奴隷は財産と考えられていたから、奴隷まで売り払うということは素寒貧になることを表していた。


ずいぶん意訳しました。
私としてはシーンの順序までばらばらにして組み立ててみたかったのですが、それはまた別の機会にと思います。
暑さ続きの毎日ですが、すこしはぞくっとなさいましたか?