掠剰鬼(りゃくじょうき)

    掠剰鬼(りゃくじょうき)

 


 広陵の法雲寺の僧、珉楚(みんそ、びんそ)は、かつて中山の商人である章なにがしとすこぶる仲がよかった。

 

 章が死んだ。珉楚は斎(とき)を設けて読経をした。

 

 数か月後、楚は市中で章にぱったりとであった。そのとき楚はまだ食事をしていなかったから腹ぺこだった。すると章は料理屋に楚を連れて行き(原文*延入)、胡餅(こへい)を注文した。食べ終わってから楚が尋ねた。

 「君はすでに死んでいるはずだよ。どうしてここにいるのだい」

「私はちょっとした罪を犯したせいで、いまだに冥途のお役目を勤めねばならず、いまだに成仏できないでいます。今は揚州に配属されて掠剰鬼になっております」

「掠剰とはなんのことだね」

「およそ役人や商売人の利益(原文*利息)はみな(原文*数常)定まった数があります。定まった数を過ぎてまで利益を得るのをすなわち余剰といいます。私はこの余剰を奪い取って定まった数にする役なのです。今の世間には吾輩のようなようなものはとても多い」

 章はそういうと、往来を行き交う男女を指さしていう。
「あの人がそうだ。ほら、向こうのあの男もそこを通る女もそうだ。みな掠剰鬼です」

 しばらくすると一人の僧が店の前にさしかかった。

「この僧もまた余剰鬼です」

 そういうや、章はこの僧を招きいれてかなりの間話し込んでいた。僧は珉楚を見ようとしなかった。

 

 しばらくすると章と楚は連れ立って南に向かって歩いたが、花売りの一婦人にであった。

 「この婦人もまた鬼ですよ。婦人が売る花は鬼が使うもので、世間じゃみかけませんよ」

 章はそういうと数銭をだしてこれを買い求め、楚に贈った。

「なべてこの花を見て笑(よろこ)ぶ者はみな鬼です」

 そういうのである。

 そして楚に「これにてお別れです」と別れを告げて立ち去った。

 
 その花は紅で、えも言えぬ香りがして愛らしい。けれどもたいそう重かった。楚はまた目の前がくらくらと暗くなり寺に帰ってきた。通りで花を見て笑(よろこ)ぶ者がたくさんいた。
 寺の北門まできて、つらつら思うに、我は鬼と一緒に遊んでいた、また鬼の花を持っているのはいけないことだ。そこで花を溝のなかへ投げ捨てた。水しぶきを(濺)あびると花は声をたてた。
 
 寺にもどると同じ僧院の人々は、楚の顔色がとても悪いのを見て驚き、急病にかかったと思って、みな争って煎じぐすり(湯薬)を持ってきて楚を助けようとするのである。そうしてしばらくすると顔に生色が蘇り、回復したのである。楚はつぶさに事の成り行きを話した。みなで花を捨てた溝をなんどものぞいてみたが死人の手が一つあるだけだった。
 珉楚はすっかりよくなり、これといったさわりもない。

出『稽神録』
 太平広記鬼四十
 僧珉楚より

訳者あとがき

広陵の法雲寺はもとは晋の謝安の邸であった。謝安がみずから植えた二本の檜の木は安史の乱まではちゃんと存在していたという。この寺は市場の門の近くにあり、狭くて雑多な感じだったらしい。騒乱の時は軍隊の陣屋になり、二本の檜は切り倒され、寺は毀され,檜に代わって一本の大きな公孫樹が生い茂るのみとなったという。
従って写真をさがしたが、全く見当たらない。
なお、余剰鬼には
人は生涯に食べる穀物、使う水などの量があらかじめ定まっているという考えが根底に流れている。


注*鬼(き)ここでいう鬼はおにではなく、死者のたましい。亡霊

注*常という漢字をいつもという意味ではなく、ここでは「かつて」と読   む。諸橋の大漢和より。

注*胡餅(こへい)

  小麦粉を水で練って鉄板のうえで焼いたもの。今のナンのようなもの。

注*広陵(現、江蘇省揚州市広陵区)


注*中山(現、河北省)


注*斎(とき)とは食事をもうけて僧をもてなし故人の供養をすること。


注*胡餅(こへい)

  餅ではない。小麦粉を水で溶いて鉄板の上で焼いたもの。いまでいう   ナンのようなものだという。胡人(ソグド人)が持ち込んだ粉食文化   で、広陵は物資の流通の要路にあり、ソグド人たちが移り住み交易に   従った。

注*覆視ふくし
  くりかえし見ること