うれしい 道尾秀介「鬼の足音」直木賞候補に!

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鬼の足音」の「足」の字は環境依存文字で「恐」の字の心を足に変えた文字。
上の写真は図書館近くの狸小路
はじめは二匹の石の狸もスッポンポンだったのです。ご利益があるんでしょうか、みなに撫ぜられて腹のあたりがぴかぴか。いつのまにかホッカムリ、赤い前垂れ。もう一匹は豚インフルエンザをふせぐためか、マスクでした。縁起をかついで、披露させていただきます。


「鬼の足音」が直木賞候補にあがったと知って、
「やはり」という思いと「遅い候補作だ」という思いが猫守の胸中を去来した。

あの端正で的確な文才は血のにじむような努力の賜物だろうが、やはり才能に負うものが大である。つけ刃はぼろがでる。

「ドラマとは人間を描くことだ」言われるが、文学もまたしかり。人間を描くものである。
人間を描くということにおいて、道尾氏はこの小説集で遺憾なく人間の心を描ききっている。

友達のバジルさんがいう。
「ジャンルの垣根って一体なんなの? これ、純文学と言っても通用するで」
猫守もどうかん。「垣根なんてとっくに越えてるよ。不変のものがあるもん」と、答えた。
バジルさん、知り合いに電話したら、その人も「鬼の足音」を買いにいったらしい。でも、書店に置いてなかったんだって。


とくに「冬の足音」はいい。あの女の「わたし」に猫守は西鶴の「好色一代女」や「卒塔婆小町」伝説や、はたまた芥川龍之介の「六の宮の姫君」に通ずる不吉な美女の系譜を感じるのだ。
思いすぎだと笑う人は笑ってくださいませ。

一つの才能がさらにひとつ、新しい階段を上ろうとしている。健闘をいのります。