その男、狼顧の相あり   司馬仲達

司馬懿(い。字は仲達)は、『晋書(しんじょ)』を読むかぎり、非凡な男ではあるが冷酷である。
計算高い

「はぁ、珍しいものをみた」
都の役所で役人たちが暇つぶしに雑談に興じていたときのこと。
ある男が感に堪えぬ面持ちで言を発したのだ。
「なんじゃ、なにを見たのじゃ。美女か?」
「ちっ、こいつ、休暇も貰っておらんわ。美女など拝めるものか」
 珍しいものをみたといった男は、まだ、信じられないといった面持ちである。
「なんだ。もったいぶらずに言えよ」
「おお。司馬仲達だ。じつは、仲達が背後を振り返った」
 言いながら男は首をねじまげて後をむく。コキッと首が鳴る。痛そうに顔をしかめ、うまくできないなとつぶやいた。
「おい、おい、おい。誰だって後ろを振り返るぜ」
「それのどこが珍しい」
「馬鹿言え。仲達は狼顧の相の持ち主なんだよ。わしはこの目でちゃんと見た」
 男はむきになった。
「狼顧の相とは一体なんだい?」
「知らないのかい。人相だよ。狼は、体は正面にむけたままで、首だけ背後にくるりと向けることができるのさ。狼顧の相は……」
 なにか言いかけて彼は語尾を濁した。
 
人相学では、狼顧の相(ろうこのそう)は狼心(ろうしん)という。狼のように冷酷残忍で人を食らうといわれていたからである。
 魏王だった曹操の長子である曹丕(そうひ)と司馬仲達は主従をこえ「友愛で結ばれている」と見られていた。見られている言ったのは、仲達の心の奥底がみえないからである。
曹丕は仲達を寵愛していたので、珍しいものをみたと告げた男も、口をつぐんだのだ。

仲達は狼顧の相(ろうこのそう)の持ち主。だから、彼の冷酷さは天性のものらしい。
猫守は動物園に行き、狼の檻(おり)の前で辛抱強く「後ろを振り向け。振り向け」と待ってみたが、体を正面に静止させたまま、首だけを百八十度、するっと回転させる姿を目撃できなかった。
骨格と筋肉の構造上、無理である。

噂は曹操の耳にも届いた。
そういう相の持ち主がいるとは信じがたい。
用事にかこつけて曹操司馬懿(しばい)を召した。
司馬懿をさきに歩かせ、少し離れて曹操はその後ろを歩く。
「仲達、これ、仲達よ。先ほどの文案じゃがのう」
 さりげなく、曹操が声をかけた。
 歩きながら仲達は思索にふけっていたらしい。
はっと、振り向いた。背中の上に真正面を向いた顔があった。
これには曹操もさすがにぎよっとしたに違いない。もっとうろたえのは仲達だ。

曹操は一つの飼い馬曹(おけ)に三匹の馬が首を突っ込んでいる夢をみた。
「曹(おけ)はわが曹氏、三馬は司馬の親子。司馬の親子が曹氏を食らう」
 そのように夢解きをした曹操は、曹丕に司馬の親子には気をつけろと忠告したが、曹丕は笑うだけ。
魏王朝も恐ろしい男に信を置いたものである。

この男と諸葛孔明五丈原で対峙するわけであるが、なんと対照的なふたりであろうことよ。


『晋書』は唐の貞観二十二(648)年、足掛け三年の歳月を費やして完成した、司馬氏が興した晋の歴史書だ。時の為政者は唐の太宗である李世民
司馬氏の晋は420年に滅んでいる。二百数十年後に編纂された史書である。その間、数々の騒乱があった。当然、数々の晋の史書は散逸したに違いない。
中華書局版の「晋書、出版説明」を読むと、編纂の主旨は面白い話の収集につとめ、その一方で、儒学を国策としたので度外れた孝子、忠臣などを採録することに努めたとある。
なるほど、「晋書」は面白い。しかし、孝子や忠臣などを読むと非人間的で面白くない。魯迅の「儒教は人食いだ」とかいった意味合いの言葉を思い浮かべてしまうのだ。