さよならを言いたかったの?  続 猫の幽霊

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写真は遊んでと誘うニヤンタ

またまた、Yさんの登場です。
孫のように可愛がっていたミーコに死なれたYさんは、子供たちに
「『出来ちゃった婚』でええから、はやく孫の顔を拝ませてくれ」
と難題をふっかけていました。しかし、子供たちは知らんぷり。そりゃそうだ、人生いろいろだもの。

工場にとどまっていたミーコの魂まで昇天してしまい、気のいいYさんが無口になり、生気を抜かれたみたいにしぼんでしまったそうです。
公園の、内緒でこしらえたミーコやミーコの母猫のお墓に線香や花を供えて目をしょぼしょぼさせる毎日が続きました。

昼休み。
「おーい」とYさんが一匹の子猫を抱きかかえて、公園の方から走ってきました。
「おう、見てくれ。こいつ、三郎の生まれ変わりや」
うれしそうにYさんが、生後間もない子猫をみんなの前に突き出す。
「あ、あ、あっ。三郎ちゃん」
「そっくりや」
うすいベージュに茶色の虎縞、茶色の目。猫のくせにちょっとまのびした顔。
三郎はこのまのびした顔のせいで、「麿(まろ)」と呼ばれ、ご丁寧にマジックペンで公家風の眉を描かれ、しゃなっ、しゃなっと得意げに工場のなかを闊歩していた。
「ノラさんの子や」
育児放棄するあの野良猫でっか?」
「うん」
Yさんは上気した顔でうなずいた。

猫たちが飢えないように、餌入れはいつも餌を切らさないようにしてある。それを狙って雌の野良猫がくる。この猫は工場に住み着くようになったらしい。野良猫のまま大人になったので、警戒心が抜けず、
人に懐かない。この猫が子供を産んだ。その子にお乳を与えない。どうしていいのかもてあましているみたいだ。このままでは子猫が危ない。
「ミーコのちゃん、頼むぜ」
見るに見かねた猫守の息子が(息子はこの工場の従業員)、ちょうど子猫を産んだばかりのミーコのそばに置いた。
するとミーコはノラさんの子猫にまでお乳を与えた。ああ、忙しい、忙しいとよその子まて育て、ガリガリに痩せた。
ストレスがたまると、息子の机の下に一匹ずつ子猫をくわえて運び、
「あたし、ちょっとお散歩。あとはまかせたわよ」
と、出て行く。母性愛の強い猫だった。

育児放棄の前科を持つノラさんが、また子猫を産んだらしい。ほかの子猫がどうなったのかわからない、その子猫が一匹だけ、鳴いていたという。
「三郎のやつ。夜遊びばっかりしとったけど、ノラさんに手をつけよったんやなぁ」
Yさんの言葉にみなはうなずく。

その子猫は本当は三郎ジュニアだけど「三郎」と名付けられた。まのびした顔ゆえに「麿」なんて呼ばれ、公家眉を描かれ、爆笑のなかを澄まして上品に歩く。
でも、近所の雌猫にはもてたらしい。
由緒正しいペルシャ猫と仲良しで、いつも一緒にいたけれど、ペルシャの飼い主に嫌がられ、恋人は囚われの身になった。ロミオとジュリエットみたいに、毎日、窓の下と上でみつめあっていた三郎。
三郎のお気に入りは猫守の息子の臭い靴下。靴下を三郎の宝物入れ(二階の物置の段ボール箱)にいっぱい隠してあった。臭くて鼻が曲がらないのかねぇ。

三歳になった。突然、三郎が姿をけした。
心配して捜しまわったけど、見つからない。
しばらくして、Yさんがいった。
三郎はある夫婦にさらわれた、と。
その夫婦とはカラオケで知り合ったそうだが、三郎が気に入って自分の家に閉じ込めているという。
信じられない。そんなことってあるのだろうか?
「うちの三郎を返してくれ」
はじめのうちはシラを切っていたが、三郎が逃げようとしたので家に閉じ込めたこと、餌を食べずに衰弱して死んだと白状したそうだ。
Yさんは泣いた。
 
麿(まろ)ネコの三郎がいなくなって、麿ネコのありがたみがよくわかった。
責任者が変わって、人が減り、過酷な労働強化で残業に次ぐ残業。「ついていけないものはやめろ」とゴマすり責任者が宣告する。きしみがちな職場の雰囲気を和ませてくれた麿ネコはもういない。
「三郎はあほやから、きっとスパゲティやあじのフライにつられよった。あいつ、お好み焼きも好きや」
くやしそうに息子は言う。

その日も息子の帰りは遅かった。
帰ってきたときに部屋の明かりが消えていたら淋しいものだ。で、猫守はいつも、こたつで本を読みながら起きていることにした。
その夜は十二時頃に帰ってきた。早い方である。息子はこたつに入り、そのまま寝入ってしまった。
若いのに、よほど疲れているのか目のふちが黒ずんでいる。ああ、まるで病人だ。
命を削ってまで働いてほしくない。
ぼんやりと猫守は息子の顔を見守っていた。
と、そのときである。猫が、猫がすうっと現れたのである。
うすいベージュに茶色の虎縞の猫の首が、じっと息子の顔を覗き込んでいる。
首と言ったのは、透明な壁があって、そこから猫が首だけ突き出したような具合だったからである。
猫守の位置からは猫を見下ろす恰好だったから、表情は見えない。耳と後頭部がみえるだけ。
猫守はこれは幻か、現(うつつ)なのか判断がつきかねて、じいっと猫を見つめていたのである。呆然としているうちに猫は消えてしまった。

猫守は、三郎がどんな毛色の猫か知らなかったのである。後でこのことを息子に話すと、息子が携帯電話の三郎の写真を見せてくれた。
「この猫か?」
「顔はみえなかつたけどこんな毛色でこんな縞やわ」
「三郎や。三郎のやつ、やっとぼくの家を探し当ててお別れの挨拶しよったんや」
そういって、息子は涙ぐんだ。