アメリカ人的な犬と日本的な猫の感情表現 ニャンタの場合

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犬は飼い主を見るとちぎれんばかりに尻尾をふって飛びついてくる。
体のすみからすみまで飼い主を熱烈歓迎している様は、一目瞭然だ。
飼い主を護って死んだ犬の話は数知れない。犬と飼い主の絆は深くて強固だ。

犬に比べると猫は薄情な動物だと言われている。
飼い主に奉仕させるのだ。
こたつの側までくると、猫守の顔をじっとみる。
こたつのふとん、めくってくれという無言の合図だ。
ふとんをめくってやると、すっともぐりこむ。
そのうち、のぼせてしまってほうっとこたつから出てくる。
座布団の上に体をよこたえ、細目をあけて猫守の顔をみあげる。
「寒いの? よしよし」
バスタオルですっぽり体を覆ってやる。
猫は、満足そうにニタッと笑い(笑っているとしか思えない表情をする)、眠りにつく。そのうち、一丁前にいびきをかく。
甲斐甲斐しく奉仕させて、
「愛されている」ことを確認するのがニャンタの日課のように思える。

入院中、時々でいいからと、娘に猫の世話を頼んでおいた。
「猫、元気だった?」
「元気だったよ。でも……」
不満そうに口をとがらせる。

ニャンタは人見知りする。
孫にギュッと抱きしめられたとき、よほど苦しかったか、
それ以来、娘がくると危険を察知して逃げてしまう。

猫砂の掃除をしていると、ニャンタが
「なんでや。こいつ、なんで僕のスイートホームに侵入するんや」
ついて回ってシャーと威嚇する。
「猫にええ加減にせぇ、と言っといて」
娘はご機嫌ななめ。動物好きの娘が、である。
なんせ、娘が玄関を入るや、廊下から顔を半分だけのぞかせ(猫が顔を半分のぞかせるって、様子をうかがっているときなんだけど、野性的なのよ、目もずるそうで)、シャーッ。たまらなかったそうだ。
めでたく退院して、
わが家の玄関をあけても、物音ひとつしない。
あれっ、ニャンタはどこ?

二階にあがってもニャンタの姿はない。
息子の寝室をのぞくとニャンタがベッドの上で丸くなっていた。
「ニャンタ」
駆けよると、無愛想に猫守をみるだけ。
猫って薄情だわ。
抱き上げると半信半疑といったふうに、懐疑的な目をむける。ゴロゴロと喉を鳴らすわけでもない。
しかも、ニャンタの体から脂臭い兄ちゃん(息子)のにおいがぷんぷんする。

夜、息子が帰ってきてからそのわけがわかった。
物音がすると(人間には聞こえない)耳をぴくっと動かして、窓にかけより外をじっとみる。これをくりかえし、息子に向かってニャーニャーと鳴いて何か訴えるを繰り返していたそうだ。
夜は息子のお腹のあたりに背中をくっつけて眠り、息子が寝返りをうつとあわてて猫も寝返りをうつ。しまいには、息子のふとももにしがみついて眠っていたそうだ。
それで、ニャンタはすっかり「息子くさく」なってしまったのだ。
そのうえ、すっかり甘えん坊になって、甲高い声で鳴く割合が増えた。

猫守が家出して、もう帰って来ないと思い込んでいたらしい。

猫と犬の違い。犬は陽気なアメリカ人。
会えばオーバーに親愛の情をあらわす。握手してハグしてキスして。うらやましいほど率直だ。
猫は日本的、東洋的。
本当はそうではないのかもしれないけれど、感情を発露させることに抑制をきかせているように思える。
けっして猫は薄情ではないのだ。
人間社会においても、犬的な感情表現の手法は歓迎されそうだ。
人間関係の摩擦解消にやくだちそうだなぁ~。

でも、猫のいじらしさ。
猫守にはたまんなく愛しい。
河口湖からかえってきたとき、耳ざとく物音をききつけたニャンタが窓に張り付いていた。
「ニャンタ。ただいま~っ」
「ニャー(甲高すぎて半ばかすれた声)」
猫なりに口をひろげて(猫守の表情を真似ているらしい)笑顔をつくる。
猫って薄情なんかじゃない。