高歓は鮮卑人か? 漢人か? 二

書いているうちに、書くスペースがなくなってしまった。一の続きです。


北魏の高祖孝文帝は漢化政策のために、太和十九年に鮮卑人の姓を漢人風に改めてしまった。

是楼氏は高氏

土難氏は山氏

歩大汗氏は韓氏

匹婁氏は婁氏

と改姓した。

高歓が少年時代に結婚を申し込み断られた初恋に近い少女、韓氏は懐朔鎮の鎮城があった太安狄那(たいあんてきな)の人で、もちろん、鮮卑人である。

高歓の母、韓氏は出身地の記載がない。母は鮮卑人かもしれない。

高歓の戸籍はねつ造されたものかもしれないという疑問が頭をもたげる。
それはいつ?だれがねつ造したのか?

高歓が官吏になったとき、函使(かんし。文使いのこと)になつたときだと推察する。昇進するには名門でないと締め出されるからだ。

だれがねつ造に加担したのか?
懐朔鎮の戸籍係だった孫騰(そんとう)だと思う。

結論として、高歓は鮮卑人で、高湖の戸籍に小細工を施したのは、懐朔戸曹史の役職にあった孫騰だとおもわれる。