劉備の密やかなコンプレックス

蜀の前主、劉備に対面した人は、その大きな耳に驚いたことだろう。福耳もいいとこ、耳朶が豊かに垂れ下っているのだから。備自身、振り返ると自分の耳が見えたという。想像もつかぬ大耳の持ち主だ。それとも、はなはだしい福耳で、このうえもない垂れ目だったのか。想像は自由だが、あまり想像をたくましくすると劉備ファンからブーイングを浴びせられそう。
 
福耳はコンプレックスではない。人相学上、福耳は長寿とされているから。

劉備には髭(ひげ)がなかった。
歴代帝王図(図か、図絵だったか)の蜀の前主像には、ちゃんと髭がある。しょぼい感じの髭だけど。
コミックを除けば、髭なしの劉備像は見当たらない。

立派な髭は外見を男らしく見せるばかりか、ずばり男性のシンボルでもあった。宦官には髭がはえない。
髭にかんして、劉備はひそかに気に病んでいた。

しかし、誰もが劉備と一緒にいると髭の有無など忘れて、彼に魅了されてしまう。
開けっぴろげで隙だらけ、おっとり構えているが、ときどき臆病さをちらちらとのぞかせる。
逃げ足の速いこと、風雷のごとし。いざとなれば妻子をすてて遁走だ。家臣にうまく言いくるめられたに違いないが、妻は内心、夫を恨んだに違いない。

どうしてこんなに負けるのかと思うくらい、戦にはよく負けた。それでも人がついてくる。この不思議さ。
「漢の高祖(劉邦)は九十九回戦に負けたが、百回目に勝って漢を興した」と伝わる。
本当に九十九回も負けたのか、私にはわからない。むかし、『史記』をよんだが、戦の数まで数えたことはない。
負けても劉備にあっては
「ああ、あのお方は漢の高祖の再来だ」と思わせてしまうのだ。


劉備に髭が無いのをからかった男がいた。のちにこの男は、劉備に殺されてしまった。
劉備らしからぬ所業である。いや、深刻なコンプレックスだったからに違いない。しかも殺すまでの歳月が長い。コンプレックスは、密やかに心の奥底に隠され、ときとして頭をもたげては備の心を苛んだのか。

益州の後部司馬を務める張祐という男は、占術や望気、天文の術にすぐれ、天才とまでの評判をとっていた。
蜀郡の人で、益州刺史であった劉璋(りゅうしょう)に仕えていた。
建安十六年(211)、劉璋は臣下である張松の進言にしたがい、劉備と手を結ぶことにした。
成都から三百六十里離れた涪(ふ)の地で会同することになった。

※涪は環境依存文字。倍のニンベンをサンズイに置き換えた文字で音は、浮と同じ。

おのおの三万の兵を引き連れて涪に至り、そこで百日にわたる酒宴が催された。
このとき張祐は劉璋の付き人として宴席にはべっていた。
この祐、じつに立派な髭の持ち主。
酔いがまわった劉備は、ついつい軽口をたたく。
「むかし、涿県(たくけん。河北省)に住んでいたが、あそこは特に毛という姓が多い。東西南北みな毛だらけ。涿の県令は『たくさんの毛が涿をとりまいとる』と言っておったなぁ」

※涿は環境依存文字。豚のにくづきをサンズイにかえた文字。

即座に張祐がやりかえした。
「むかし、上党潞(じょうとうろ。山西省)の長が涿の県令に昇進したとさ。いざ官を去って家にかえるとき、知り合いが手紙を書いたとさ。宛名を書くとき、潞君と書いてよいものやら涿君と書いていいものやら、迷いに迷い、とうとう潞涿君と書いたとさ」

※潞は環境依存文字で、路にさんずいをつけた文字

劉備はがつんとへこまされた。

なんことだかおわかりですか?
潞からサンズイを取った路という字は「露わになる、裸」という意味がある。
髭男の張祐は、毛がない露わな顎をした劉備を「髭なし」と、からかったのだ。
一座はどっと笑い崩れたに違いない。

深読みすれば、涿は水の名であるが、「豚、尻」という意味もある。髭ばかりか尻に……オーマイゴッド。へんな想像も深読みもやめ、ここは軽く流しましょ。

劉備はこれを恨んだ。
建安十九年(214)、劉璋劉備に降った。そのとき張祐は劉備に仕えた。
建安二十三年(218)、劉備は漢中を攻めた。
「漢中を魏公(曹操)と争ってはなりません。軍に利あらずとでましたから、おやめなさいますよう」と、張祐は劉備をいさめた。しかし、劉備は派兵した。
軍に利あらずだったが、漢中をおさえた。

そのころ、張祐は「庚子の歳、天下は代が変わり、劉氏の御世は終わりますのじゃ。わが主が益州を得て九年後の寅あるいは卯のあいだに、これを失いますな」と人に漏らしたのである。
巡り巡ってその予言が劉備の耳に届く。
片時も劉備はあの屈辱を忘れなかった。それに加えて不穏な飛語である。漢中派兵のとき、彼の予言が当たらなかったことを責め、張祐を捕えて獄に閉ざした。
諸葛亮が祐の刑罰の裁可を仰ぐと、劉備
「匂いがよい蘭といえども門に生えれば邪魔だ、鉏(す)かないわけにはいくまい」
と答えた。

※鉏(すき)は環境依存文字。姐の女を金に置き換えた文字で鋤(すき)と同じだが、殺すという意味ももつ。

祐は市で斬り殺された。
祐の予言は当たった。庚子の歳は魏の文帝が即位した黄初元年(220)にあたる。
劉備は癸卯の歳に崩御した。
そして劉備