曹操のコンプレックス

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Alan(愛蘭)が歌うレッドクリフの「心・戦」を聞くと映画が観たくなった。無性に観たい。
……千の杯(さかずき)を重ねても酔わないが、今宵の月光には酔う♪……なんて歌われちゃ、猫守の心は震える。ぱっと歌詞をみて、さっと意味がわかったのはそこだけ、悲しいです。辞書片手に訳してみようかと思ったら、ニヤンタが不機嫌そうに顔をふくらませながら、じとーっと見つめてる。
遊んで。遊んで。ボク、さみしい。ボク、遊ぶために生まれてきたの。人語をしゃべってから、猫守に警戒され、しゃべらなくなったのだ。そのかわり、態度で示すようになった。猫守が「スウドク」に凝っていたときのことだ。
「遊んで、遊んで」
「うるさい。猫はねんねの時間。どこの世界に猫とばかり遊んでいる人間がいますか?」
ニヤンタは顔を膨らませてじとーっと猫守を見守る。
その夜。家人が帰ってくると、ニヤンタは告げ口した。
「にやぁ、にやぁ」
ニヤンタは家人の顔を見上げて泣くと、床に置いてあったスウドクの盤にとび乗り、未完まま並べてあった盤面の駒を前足でぱっぱっと払いのける。またもや悲しげに鳴くと、こんどは駒を思い切り前足でばらばらに飛ばしてくれた。
「ははあ。スウドクに熱中して、相手してやらなかったなぁ」
 猫守が、スウドク三昧だったのがすっかりバレました。

曹操
曹操は並はずれた才能に恵まれた人だった。学問に秀でていて、書道は当世に名をはせた者たちと肩を並べる腕前。「孫、呉」の兵法に熟達していて、みずからも文字にして十万言にものぼる膨大な兵書を著した。
戦場ではかならず自ら指揮をとり、戦略をさずけるのである。彼の指揮に従った将軍は必ず勝ち、指揮に従わなかった武将は敗北した。
碁の腕前も、一世を風靡(ふうび)した名人たちにつぐ腕前だったという。詩人であり、歌を愛し、俳優の演技に感動した。多趣味、多才の男である。

そんな曹操にもコンプレックスがあった。
だれもが曹操の体から発するオーラに酔うのだろうか。彼の容姿をとやかくいうものはいない。
曹操は貧相な男だった。貧弱だったという。
漢の高祖、劉邦は龍顔だったと記されている。曹操についてはそのような類の記録はない。ついでながら、龍顔(りゅうがん)とは長い顔、悪く言えば馬面である。天子となる人の人相のひとつとされたため、そこから転じて「天子の顔」を指すようになり、「龍顔を拝したてまつり、臣は……」と使われるようになった。
猫守は、曹操は額がひいでた逆三角形の顔で、頬がこけていたと想像する。
黄巾の乱の平定には匈奴が活躍した。このとき匈奴山西省の南部にまで南下して漢人たちと雑居したという。
あるとき匈奴の使者がきて、曹操に会見したいといった。
「ははあん、わしの人となりを観察しにきたな」
曹操はぴんときた。
ところで曹操は貧弱だった。
そこで、一計を案じた。かっぷくのよい貴族を曹操に仕立てて、自分はそばで刀をもって侍者らしく控えていた。
会見が終わった。
使者のもとに密偵を放った(前々から、匈奴には密偵を潜入させてあったらしい)。
「魏王をどう思われた」
密偵の問いに使者は答えた。
「魏王はさすがに立派な方だ。しかし、そのそばで刀を持っていた男、これぞまさしく英雄と呼ぶにふさわしい」
 それをきいた曹操は、すぐさま追手をだして使者を暗殺させた。
いかにも曹操らしい逸話である。

参考史料
陳寿三国志
世説新語