丁夫人の嘆き 五

丁夫人の嘆き 五
 
 袁本初という男は危険なにおいを放つ。
 ほら、春秋戦国時代に夏姫という城を傾ける美女がいたでしょ。次から次へと男を魅入り、魅入られた男たちは次々に命を落とすという不吉な美女。夏姫の娘も鏡のように照り輝く美女だったわ。娘と結婚したいと言い出したある男に、その母親がいうの。「いけないよ、あの娘だけはよしなさい。このうえもなく美しいものはこのうえなく心が邪悪だというではありませんか」と。でも、息子は聞き入れないで娶る。その娘が生んだ男の子のせいで結局、その家は滅んでしまうの。
 本初の邸の門前は人士たちの車がひしめきあい、それがおかしなことに由緒ある家のものらしい立派な車から、ごくごく卑しい者に違いない荷車まであって、つきあいの広さがうかがえる。
 「本初はすごい奴だ。天下広しいえどもあいつほど人を魅了する男はいない。不思議な男だよ。生え抜きの名門の出でありながら、遊侠なのだ、奴の本質は。そこがまた、たまらなくいいぞ」
 と、本初のことを語るとき孟徳の目が輝く。
 それが本当なら本初はあの袁氏一門のはみ出し者ではないの? 叔父で太傅を勤めた袁隗が「おまえはわが一門をどうする気か? 中常侍趙忠が役所でふれていたわ。本初は座して名声をつくりおる。命知らずを養い蓄えておるが、あの嘴の黄色いのは、一体何を企んでおるのかと、のう。悪いことは言わん、謀反の噂がたたぬうちに門を閉ざして、おとなしくしておれ。おまえのせいでわしらまでとばっちりをくうのはごめんじゃ」と諭したが、本初はしらんぷり。古いものを壊して新しいものを作ろうとする若者たちには本初に惑うが、堅物の年配者からはうさん臭い存在だった。
 本初の考え方、ものの見方が時代の風潮を作っていたような気がしてならない。相変わらず、彼の邸の門前は市をなす賑わいで、目つきの悪いのやら頬に刀傷のある者たちが、本初を近衛兵のようにとりまき、彼の行くところぞろぞろと付き従う。
 本初はなにかをしでかす。腐りきったこの世の世直しをするのは本初だと自他共に認めていたふしがある、とわたしは思っている。ほら、だれだって「あなたしか出来ない、あなたならやれる」とおだてられ続けると、何かしなければ格好がつかなるでしょ。それとよく似ている。
 本初は何皇后の異母兄にあたる大将軍何進に仕え、侍御史、虎賁中郎将に昇り、中平五年には西園八校尉の一つ中軍校尉になった。議郎だった孟徳もまた典軍校尉に選ばれていて、ふたりは元帥であるやはり八校尉の一つである上軍校尉の蹇碩(けんせき)の配下にいた。
 
 「どうも本初は蹇碩を嫌っておるな」
「まあ。中官(宦官)あがりだからでございますか?」
 うっかり口をすべらせてしまった。上目遣いに孟徳をみると、唇のはしが震えている。
「やりにくいよ、蹇碩の方も。本初の方が人気があるし中官嫌いで有名だものな」
「大物を配下に持つと大変でございますわね」
「本初という男は優れているが、自分より偉いやつはいないと思いこんでいるからやっかいだ」
「それではあなたにも見下した様子でいるのでしょうか?」
「いや、わしの才気は認めてくれるぞ。残念ながらわしの方があいつに敵わないのさ」
 孟徳の言葉にわたしはほっとした。
 
蹇碩は本初をおそれ、本初は碩を嫌っている。というより、碩は何進を恐れていて、その息がかかった本初をおそれていたのだ。霊帝崩御したとき、霊帝から信頼されていた碩は、遺詔を受けて董侯を即位させようとして何進を始末することをはかったが、悟られて失敗した。
 
雲行きがあやぶまれるなか史侯が即位した。
太后になった何氏が政(まつりごと)を執った。
本初は何進が親任する者を通じて「宦官の跋扈は目にあまる。やつらを一掃して天下を喜ばせなさい」と進言した。蹇碩に危うく殺されるところだった進は、碩を恨んでいたところだ、その話に食いついた。
 「どういう料簡なのだ。本初め、主立った宦官を見せしめに処罰すればすむことじゃないか。のこる小者はおとなしくなるさ。人気取りとはいえ、一掃とは手厳しすぎるぞ」
 と、孟徳は本初に意見をしたが、はなから聞き入れない。
 何進が皇太后に宦官の一掃をもちかけると、宦官に恩義がある皇太后はそれを拒んだ。
 すると本初は「董卓に兵を率いて都に入らせて皇太后を脅し、太后令をださせなさい」と言い出したのだ。
 進は賛成したものの、ためらった。董卓がどんな男でその部下がどんなにひどいか知っていたし、いくらなんでも兵でもって皇太后を脅すとはとんでもない。
 
続く