丁夫人の嘆き(曹操の後庭)  十八

丁夫人の嘆き  十八
 
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上の絵図は水経注の洛陽城図。左右を太線の部分でつなぎ合わせると一つの図になります。北魏の洛陽図ですから、漢、三国魏よりも洛陽城は大きくなっていますが、ある程度、想像をかきたててくれると思います。白馬寺まで行ったことがありますが、ただ一面の畑、イメージもなにもわかなくて、呆然。わたしの洛陽は頭のなかにあると悟りました。なお、どこの出版社の本かわすれましたが、古い和綴じの本だったから、おそらく著作権は消えているらしい。
 
 
丁夫人の嘆き  十八
 
 「おうさ。例えばだ、任された部署の仕事が皆目、不得手な上司がいたとしよう。そいつは上司の面目があるので下手にでて頼むことなどまず、しない。手落ちなく仕事をさせる手段としてどんな手を使う? 闇雲に部下の仕事にけちをつけるのさ。些細なことで威圧するように叱りつけ、わしはうるさいぞと威嚇しておく。無知ゆえの振る舞いだがはた迷惑なことこの上もない。まさに、董卓がそうだ、都の人間に負けないように威嚇したぞ」
「へぇ。そういうものですかね」
「そうさ。陛下は董卓をみて泣きだされた」
「陛下が? お幾つになられた」
太后に似て大柄だがまだ十四歳だ」
「あっしにはどうも……歳のわりには幼いような気がしますがね」
「親方、わたしは市井の少年をみるような気がして、親しみを感じてしまいますが」
「わしが思うには、張讓らに董卓の怖さをたっぷりと吹き込まれたのだろうよ。後ろ盾の何進何苗を殺されるわ、宮殿は焼かれるわ、とぼとぼ歩かねばならぬわ、散々な目に遭われたのだ。百官の出迎えを受けてほっと一息ついたところへ、悪人面をした董卓が兵士を引き連れて現れたのだ。誰だってぎよっとする。泣きたくなるさ」
「ま、奴の髭面ときたら熊が吠えたようですわい」
「はっはっは。ま、そんなところだな。側に控えていた大臣が董卓に詔ですぞ、兵士を退けなさいと叱責した」
「ほう。いかに董卓といえども色を失った、そうでござんしょ」
「いや。董卓の奴、大臣たちをぐっと睨みつけた。公らは国の大臣となりながら、帝室を支え助けねばならないのに、それを怠ったせいで天子をこのような事態に追い込んだ。そのためにわしが呼ばれたのだ、どうして兵士を退けよと言えるのかと噛みついたのだ」
「はあ……」
「なんてことだ」
「それだけではない。無礼にも陛下の許しもなく陛下と言葉を交わされたのだ。陛下は恐怖のあまり、しどろもどろで途中で言葉を失われた」
「あの狡猾な男が見逃すわけございませんよ。お気の毒に」
「あっしには意気地なしにおもえますがねぇ。うーん、難しいやね」
「気の毒だった。続いて陳留王に話しかけた。あの王は闊達で物怖じしない。董太后が政を取り仕切りたがったから、その傍らでいつも王は話を聞いておられたとか。乱の顛末を問われてすらすら答えられた。董卓はすっかり王を気に入ったらしい」
袁紹はどうしておりました」
「おお、それよ、それ。あいつは鬱陶しい顔で霸気が感じられないのだ、自ら主導して董卓を呼んだからには後始末もしてほしい。呆気にとられるほど沈黙を守っておる」
「今となっては袁紹も後悔しているはず」
「三明よ、自信たっぷりだな。根拠はなんだ?」
袁紹の部下がぼやいておりました」
「ふむ。もはや厄介者になった董卓が来たからか?」
「ご明察恐れ入ります。董卓は遠路を駆けつけてきて兵は疲れている、その隙をついて董卓を殺してしまいなさい、と袁紹にすすめた部下がいたのですが、黙殺されましたよ。あれは董卓が怖いのだと噂しておりますよ」
「ふーむ。殺してくれればよかったのだ。みなはそれを期待している。袁紹がなんとかしてくれると、な。くそっ。董卓がなんだ、宮殿の衛兵だけでも董卓の兵をしのいでおる。大将軍府や車騎将軍府の兵を合わせたら董卓など袋の鼠だ。本初め、おまえがやらなくては誰がやるのだ」
「わたくしもこれが袁紹かと愕然といたしました」
「……早いうちに都を離れたほうがよいぞ」
 ぽつんと孟徳がつぶやく。その言葉に部屋はしんと静まり返った。でも、まさか、その日が来るとは思いもよわないことだった。