丁夫人の嘆き  雑記一

丁夫人の嘆き  雑記一
 
ノートより。
 
〈楚歌のいきさつ〉
 
項籍は西楚の霸王になり天下の命を司り、土地を分けて諸侯を任免した。秦はここにほとんど滅び、その後、五年で天下は漢に統一される。
 垓下(がいか。安徽省霊壁付近)で漢の高祖に囲まれた項籍は四面に楚歌を聞く。(霸王別姫で有名)
 
項羽の歌
力は山をも抜き 気は世を蓋(おお)うも
時に利あらず ※ 騅(すい。項羽の愛馬の名)逝かず
騅の逝かざるは 如何(いかん)すべき
虞(ぐ)や虞(ぐ)や なんじを如何せん
 
※の間に
「威勢廃る 威勢廃れて」という句があったという説もある。
 
虞美人の唱和
 
漢兵すでに地を略し 四方楚歌の声
大王意気尽き 賤妾何ぞ生に聊(やす←すごい意訳の読み)んぜん
 
〈伝国の璽〉
秦の始皇帝の時、卞和(べんか)の玉、あるいは藍田(らんでん)の玉をもって刻された印。その文は「受命於天既壽永昌」という。皇帝の六璽とは別のもの。
 秦王子嬰(しえい)は立つこと四十六日、楚の将、沛公(劉邦)が秦軍を破って武関に入り、霸上に至ると人をさしむけて嬰に降伏を迫った。
 嬰は首に紐をかけ、白馬に曳かせた素車(そしゃ。白い車とも飾りのない車ともいわれる)に乗り、天子の璽符を奉じて軹道亭(しどうてい。陝西省西安東方)で降伏した。
 漢の高祖(劉邦)はこれを帯びて即位した。国宝であるが王莽のとき失う。
その後、さまざまな伝国の璽が存在したが、よく紛失していてどれが本物なのかわからないが、それはそれでいいのだと各時代の人が説いている。