丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 二十一

丁夫人の嘆き 二十一
 
 「中官が滅んだのに都に居座りおって。用はない、そうそうに立ちされ」とか「なんとも不愉快な男、身の程知らずにも程がある」と、董卓の陰口を叩いているうちはまだよかった。董卓の入城に都の空気は張りつめていたが、たかだか三千の兵で何ができると高を括っていた。
 われらの袁紹がいるではないか。袁紹の叔父である袁隗がいるではないか。隗は天子を助け導く太傅だ。何代にもわたって帝室に仕えてきた名門だ、ここぞという時には忠義を発揮して危機を救ってくれるものと期待していた。
 
 九月甲戌(一日)、董卓の招集を受けて孟徳は苦虫をかみつぶしたような顔で朝廷に参内した。
 昼ちかく、子脩が慌てて部屋に駆けこんできた。
「母上、今上が廃位されて新しい天子が即位されましたよ」
「えっ。まことか」
 わたしは足元がぐらりと揺らぐのを覚えた。
「まことでございますよ。石経を写しに参りましたが、その帰りに太后令を書いた高札をみました」
 子脩は顔を赤らめた。
 外出を禁じておいたのに、子脩は家を抜け出し石経を写していたのだ。
 
 「ふーん。君は詩経を写すのか。太学の学生だってどこぞに逃げてしまったのに」
 子脩が顔をあげると儒者の身なりをした品のよい男が、子脩の手元を覗き込んでいた。
「世の中は騒然としておるぞ。詩経など写してなんの役に立つのだね」
「君子のたしなみです。おじさんだって物騒な世の中だと言うのに、剣の一つも持たないで琴なんか抱きかかえているじゃありませんか」
 子脩の言葉に男は笑いながら琴を撫ぜた。そしてまじまじと子脩の顔を覗き込んだ。
「おや。君の顔、どこかで会ったような気がする……ああ、そんなはずはない。遠い昔のことだ」
 男は悲しげに首をふった。そのときである。「蔡殿、急がれいっ。董司空は気が短い」と、叫ぶ声が往来から響いた。
「はて、うるさいことだ。わしは石経をまえにして琴を弾くつもりだったのに」
 男は名残惜しそうに石経を見上げた。
「わしが死んでも石経は永久に残る。まてよ、永久という存在こそ曲者だ、万物はすべて変転してやまぬ。永久なるものが果たしてありうるものか。……不義も正義も時の流れに洗われるものならば」
 蔡と呼ばれた男はくるりと踵を返すとすたすたと歩き出した。一体、何者だろうと子脩は呆気にとられて男を見送った。
「子脩さま。きっと蔡邕(さいよう)殿ですよ」
 爺やが耳打ちした。
「この石経の」
「はい」
「高潔で博学このうえないと、父上がいつも褒めていたお方だったのか」
「お気の毒に。董卓に召しだされて仕えねばならんとは」
「……」
 子脩は木立の向こうに消える影を複雑な思いで見送った。
 
 子脩と呼ばれて子脩はわれにかえった。
「市中の様子はどうでしたか?」
「高札のまわりはどこもかしこも人だかりでございました。董卓の兵士が巡回していたので、誰も董卓の悪口をいうものはおりません。人だかりで聞いたのですが、きのう、袁紹が都から逃げ出したそうです。なんでも、上東門に司隷校尉の節が掛けてあって、家族を連れて東に行く袁紹をみたとか噂していました」
「まあ。なんてこと……父上がもどられたらもっといろんなことがわかりますわね。もう、許しがないかぎり外へは出てはなりません」
「はい]
 またもや子脩は顔を赤らめた。
 
 後でわかったことだが、この日、崇徳の前殿に集められた百官に驚愕の事態に直面したのである。
 太后令により今上が廃されて陳留王が即位したのである。それが、今上から璽綬を解いたのはだれあろう袁隗で、隗はその璽綬をわずか九歳の陳留王に捧げた。今や弘農王になった劉辯を隗が扶けて階(きざはし)から降りさせると、北面させ「臣下」としての礼をさせた。
 前日に董卓から廃位の相談をもちかけられると袁隗はあっさりと承知してしまったのだ。数刻前に、「漢朝四百年、わが家は代々漢室の恩を受けておる……英雄は将軍一人とはかぎりませんぞ」と董卓のまえで小気味よい啖呵を切った甥っ子の袁紹とは大違いだ。「賊臣に迫られて天子の璽綬を解いて階から追い落とした腑抜けの袁隗と、末代まで嘲られる」と軽蔑する者もおれば、「董卓の奴、劉氏の血筋は残しちゃならんと言ったから、遠慮深謀の人である袁隗は、とりあえず帝室の延命を謀って時をかせぎ、四海に沸き起こる義軍の蜂起を待っているのさ」と、擁護する者もいる。
 孟徳に言わせれば、「人間って奴は弱いものさ。とくに名門なんてものは一族の先祖の祀りを絶やさぬためなら何でもありってところだ。意外と保身のためということもある。裁きは時の流れにゆだねることだ。おのれが意図しようがしまいが、時の流れが決着をつけてくれるさ」と、いうことらしい。個人の意志の力よりもすべてを飲み込む大きな力、たとえば時代の流れが審判を下すのだそうだ。
 董卓に脅されて太后はやむなく廃位の太后令をだしたものの、弘農王が北面する姿にたまりかねて嗚咽した。臣下もまた泣き叫んで弘農王にとりすがりかったが、董卓が怖くて、悲痛な面持ちでただ、ただ、弘農王を見守り続けるのであった。
 陳留王は母親代わりだった祖母の董太后に、「そなたは天子になるのですよ」といい聞かされながら育ったせいか、あるいは董卓に「王のばあさんの姓は董じゃ。わしの姓も董だぞ。同姓は親戚というからのう、わしは親戚の董おじちゃんじゃ」と、言いくるめられていたせいか、淡々と言いつけどおりに即位式をこなした。
 
 朝廷からもどってきた孟徳が小声でささやいた。
「荷造りしろ。ただし持ち出すのは金目の物と着替えと糒(ほしい)だけだ」
「えっ。今、なんとおっしゃいましたの」
「荷造りしろと言った。説明は後だ」
 そういうなり孟徳はあたふたと奥の部屋に消えた。
 
続く