丁夫人の嘆き 雑記 九

 丁夫人の嘆き 雑記  九
 
董卓に反発した曹操が洛陽から逃れた道筋
 
 
 雒陽(らくよう)を逃れた曹操は、間道をとって鞏義市から滎陽市の上街区のはずれあたりから西関(これが霊帝がおいた八関の一つの旋門関で、黄巾の賊を防ぐためにもうけられたもの)を通り、虎牢関村(虎牢関が置かれたところで、成皋(せいこう)県城があったあたりだと思われます。そこを通過して南東に下り、中牟(ちゅうぼう)に着いたのです。
 
 残念なことに、虎牢村の数キロ西方には、軍事基地か大事な施設があるらしく、航空写真も左半分はぼやけてしまうありさまです。
 このような例は、内モンゴルの武川を拡大したときも、包頭市の北方を拡大したときもそうでした。
 中国の地図サイト「捜狗」が便利だったのですが、去年でしたか、捜狗で地図を検索している最中にぱっと画面がとんで接続できなくなり、それから国内のサイトを見ていると、三度ほどパソコンに外部からの不正アクセスありとの表示がでて、画面がとんだことがあります。中国サイトは昔からウィルスをもらうから怖いといわれていましたが、なんだかいやですね。
 
 
 
 
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