丁夫人の嘆き 雑記  十

   丁夫人の嘆き 雑記 十
 
 函谷関
 
 イメージ 1右の写真は
河南省洛陽市新安県にある
函谷関の関城の遺跡である。
関城には役所があり、
軍隊が常駐していた。
 
右上の写真は東側より西側を望んだ写真。
右下は西側から東を、つまり内側から外側を見た写真
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
城壁の厚さが通路の長さである。この函谷関は漢の高祖劉邦が臣下の願いを入れて作らせたものである。城壁はたぶん、後代に何度も修復されているだろう。関所のイメージとして参考までに。
 
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上の写真は戦国時代からあった由緒ある函谷関である。
所在地は河南省霊宝市(グーグルでは三門峡市霊宝市となっているが、その付近ということでしよう)函谷関である。
 ここの函谷関は、老子がこの関を出て西方に行き西域の人となったとも仏になったとかいう伝説がつたわる関所である。
 また、関中に一番に入ったものを漢王にしようと言われ、漢の高祖が通った関所である。
 
イメージ 3
 
 
上の写真の碑には函谷関古道と書かれてあり、夏草にうもれた道が続く。道の両側は塀のように屹立する崖だといわれているが、この写真ではわかりませんね。
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うえの写真は函谷関の関城を模した現代の建物らしい。馬にまたがった像はどうやら漢の高祖らしい。
 だいたい関所のなかはごく普通の城だったらしい。戦になると付近の住民は城内に籠った。
 
 曹操が通過した旋門関の写真がないので、函谷関を参考に想像力を駆使してお読みくだされば幸いでございます。
 なお、上の写真はすべてグーグル地図の写真を引用させていただきました。