丁夫人の嘆き 雑記 十一

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    丁夫人の嘆き 雑記 十一
 
   城塞
 
 
 
 
 
うえの写真は山上に設けられた塞(とりで)の写真です。
塞が不要になり廃墟と化したもので、この石積みの塀が風よけになるのでそれを利用して農民が家を建ててすみついている。四角い塔は炮楼(ほうろう)とあります。
 
 炮楼は砲台と理解されても誤りではありませんが、このように高層の建物をいいます。
 炮という字は礮(ほう)がもとの字です。石+馬+交で出来た環境依存文字です。
意味は石を弾く(『いしはじき』と呼んだそうです)機械のことで、鉄砲が普及するまでは強力な武器でした。
 
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 上の写真は城塞の内部です。右端の楕円は塞の門です。
写真には『人去塞空』と赤い文字が入っていますね。
 人去りて塞(さい)空(むな)し。
 季節は早春あるいは晩秋かもしれませんが、夏草や兵(つわもの)どのが夢の跡
の句がぴったり。
 城郭や塞のことはよく知りませんが、なんとなくこれは近世のものではないだろうかと想像しております。
 清朝末期、あるいは国共戦争、抗日パルチザン……うーん、よくわかりません。
 
 なぜ、こんなものにこだわるかと申しますと、
 曹操が活躍した時代に、黄巾の賊徒が平定され、その残党が青州黄巾、あるいは黒山、白波の賊となって大いに暴れまわりました。黒山、白波は山谷よっていたとありますが、彼らは分散してこのような塞に住んでいたのではないかではないかと思うからです。
 材木が豊富な土地では木柵で塀を築いたでしようが、火箭(かせん)を射るられるとだめですから、石や土で築いたのでしようか。
 
城塞の所在地は河南省鄭州市の西南にある新密市です。
 写真はグーグルマップにあったもので、撮影者は博璞園(かくはくえん)とあります。
この方は、さきに載せた函谷関の写真も撮影されておりますから、プロでしようか。独特の詩情があります。
 余談ですが、中国の写真家には南画とか山水画のDNAを感じますね。
 開封市の写真をクリックしてみますとしみじみと実感できます。