丁夫人の嘆き  雑記 十二

丁夫人の嘆き   雑記  十二
 
  再び虎牢関(成皋関 せいこうかん)について
 
大伾山(たいひさん)上にあった虎牢関は漢代に関所が廃止されて、成皋県の県城となりました。
山上の要塞を兼ねた城のイメージとはどんなものかと思案しながらグーグルマップを捜してみたら
イメージをかきたてるのには格好の山の塞がありました。
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いずれも河南省平頂山市汝州にある古い城塞です。山にあったので山塞とも呼ばれます。
一番下の写真は城門ですが、鉄の扉、あるい木の扉に鉄のたがをはめ込んだ扉があって物見台には見張りの番兵がいたことでしよう。
 
成皋の県城はこれよりもたぶん大きくて、なかには御殿のような役所がそびえていました。
 
 目を閉じて想像をたくましくしてください。
兵士の喚声、霹靂(へきれき)のように天地をゆるがせながら放たれる大石の群れ。空気をつんざく鏑矢(かぶらや。←敵に恐怖をあたえるためにわざと飛ぶときに大音をたてるような仕掛けをほどこした矢)。雨のように降り注ぐ矢。縄梯子をかけて城壁をよじ登る敵兵に注がれる煮え立つ油……。
 
成皋県城(虎牢関の関城)の城内には井戸が一つしかありませんでした。山上ゆえに井戸は四十丈も掘ってやっと水脈に行きあたったそうです。
 数百年後の南北朝時代南朝宋を興した劉裕(宋の武帝)が、北土奪還をはかりここ虎牢関を占拠し、北魏と戦いますが、北魏は堅固なこの関城を抜くことができない。熾烈な戦いが繰り広げられ、北魏軍は地下道を掘り進んで、この城の唯一の水源である井戸の水脈を断ち、他所に流出させてしまったので井戸が枯れ、ついに虎牢関城は陥落したのである。