丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 二十八

    丁夫人の嘆き(曹操の後庭) 二十八
 
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  上の写真は河南省許昌市の丞相府の曹操像(グーグルmapより)
 
 羊腸とはこのこと、幾重にも曲がりくねった長い坂道が天に交わるところに、成皋(せいこう)の県城がそびえていた。
「子脩よ、前にもこの城を通ったことがあったな」
「はい。そのとき父上は私に、これが難攻不落の城だと教えてくださいました」
「そうだったな」
「秦の始皇帝が虎牢関という関所をおいた所で、わが漢朝は成皋の県としました」
「そうだ。高祖高皇帝はここで項羽に囲まれ、この北門から逃亡した。逃げ上手も処世の術である」
「さようでございますか」
「戦場では処世の術を稲妻のごとく働かせよ、生死は稲妻のごとしだ」
「はい」
 背後に続く私には子脩の表情は読めないが、孟徳はどこまで真面目でどこから不真面目なのかまったくわからない。これでよいのだろうか、父親の体面が保てるのだろうか。
「この城には井戸が一つしかない」
「それでは民が困ります、不便でございますね」
「ああ。井戸の深さは四十丈だ、四十丈も掘ってようやく水脈に当たったわけだな」
「それでは民は自家用の井戸がもてませぬ」
「ならば四十丈降りた場所に居を構えるとよい。わっはっは」
 旋門関を突破したせいか孟徳は機嫌がよい。
 左手はるかにみなれた河(黄河)が光っていた。
「悠々たる大河よ、源を崑崙(こんろん)に発し千年万年わが大地を潤すか……。のう、子脩よ、大河に比べると人の命は儚いものじゃわい。だがのう、命短い人は千載のちの世に名を残すことは出来るのじゃぞ。大河といえどもその源は崑崙山の露の一滴にはじまる。わしの名は天下の英雄に比べるとまさに露の一滴、この一滴は崑崙の露の一滴、長大にして広大なる大河に育つ一滴だぞ。子脩よ、わしを継ぐ子はあの大河にならねばならぬ」
「はい」
 少年ながら子脩は父の期待に応えようと涼やかな目を河に向けている。子供と大人が入り混じった横顔に旅の疲れがにじんでいる。
 きらめく河が山に隠れた。今度は曲がりくねった坂道を下っていた。東南へと進んでいるはずだ、あの青い一筋の川は汜水(しすい)に違いない。一里あまり阪を下ると村里についた。
 里門をくぐってすぐの一際大きな邸が豪族、呂伯奢の家である。
 伯奢は不在だったが、父に代わって息子たちが歓迎してくれた。不在と聞いた時に私たちは立ち去ればよかったのだ……つい好意に甘えたのが間違いの元だった。
 遊侠無頼の徒であった、この息子たちは。
 「いい馬だ、まったくいい馬じゃねぇか」と、厩に孟徳の馬を曳いて行きながらも、ことわりもなく勝手に乗ってみたり、積み荷を下ろすのを手伝いながらも「ずいぶん重いぜ。こりゃ金銀をたんまり積んでいる」と、たいそう荷物に関心を持つ、持ちすぎるのだ。
 物騒なご時世である、この者たちは密かに山賊稼業に手を染めているのではなかろうかと疑念がもたげた。孟徳はとみれば、やはり不愉快だったのだろう、眉根がかすかに震えていた。
 それでも暖かい部屋に通され、「温もるぜ」と熱い饂飩を振舞われると不快感などどこへやら吹き飛んで、夜の歓迎の宴を待つあいだ、うとうととまどろんでしまった。
 カチャカチャ。
 夢の中で金物と金物が触れ合う音を聞いた。
 なんの音かしら?
 「あの子の首にかけた赤い玉、ありゃ西域渡りの宝だぜ」
「見たこともない、珊瑚よりも赤い、透き通っておったな」
「おまえ、あれはのう、なんたらかんたら言う、ちっ、舌をかみそうな長ったらしい名前の宝だ、異国でも珍しい品だ」
「へぇ。するてえっと馬と同じ値打ちもんかよ」
「あほ抜かせ。邸が買えらねぇ」
「見たかよ、上着の下に貂(てん)の毛皮の胴着を着てよ、ありゃ、金持ちだ」
「何してんだ。しっかりふん縛れよ。逃すなってんだ」
 ガシャン。ガシャ。カシャカシャ。
「ひと思いにこうだっ」
 夢の中で男たちの声を聞いたように思う。と、そのとき誰かが私の体を揺さぶった。きゃっ。誰かが私の口をふさいだ。
「おい、起きろ」
 聞きなれた声の主は孟徳、わが夫だ。夢かしら?暗闇の中で目をあける。ああ、もう、夜なのだ、一刻あまり眠ってしまったらしい。厨房の方からは金物が触れ合う音がきこえてくる。
「おい、身支度をしてすぐに厩へいけ」
「なぜ……」
「謀られた。やつら、わしらを殺して馬や金銀を奪うつもりだ。聞いたか、あの刃物が触れ合う音を」
 その言葉に眠気が吹っ飛んだ。
 そういえば年かさの息子が上着を脱いだ子脩の襟元からこぼれ出た赤い玉に目をとめて、紐がちぎれんばかり勢いで手にとってしげしげと見入っていた。あの玉に魅せられたか。
 異様な悲鳴は厩(うまや)にまで届いた。
 もどってきた孟徳たちから血のにおいがしたが、あえて私たちは何も問わなかった。無言で馬にのり、ひたすらに夜道を突っ走った。
 この呂伯奢の五人の息子殺しで、世人は疑心暗鬼にかられた孟徳が厨房で宴のための銅の器を並べていた息子たちを、武器を準備していると勘違いして殺したと面白おかしく言うが、その場に居合わせた者たちのみ知ることである。後味の悪い出来ごとだったが、武器と器と見間違えるはずなどない。
 
 一難去ってまた一難、中牟で私たちは捕縛の辱めを受けた。
 
 
続く