丁夫人の嘆き (曹操の後庭)     三十一

     丁夫人の嘆き (曹操の後庭)     三十一
 
 秋(とき)が来た、孟徳の秋がきたのである。
 君は乱世の梟雄、平穏の能吏と評された孟徳が、能吏から梟雄に羽ばたく秋(とき)がきたのである。孟徳の目は生き生きと輝き、弁舌は心を揺さぶる。
 「……ああ、天下は賊で満ち満ちている。天下の乱れをよいことに黄巾の余賊は太行山から青州(山東半島)にまで連なり、衰える気配がない。南匈奴ときたら滅びかけて漢朝を頼って長城のなかに移住したが、并州(へいしゅう。山西省)の太原で騒動を起こし、はじき出された一派が黄河の北岸まで下ってきよる武力に物言わせての掠奪、行く先々で漢人と衝突だ。漢の権威も地に落ちたもんだよ。まったく。都じゃ董卓が公主を犯し後宮の女どもを掠奪する、もはや漢朝は滅んだも同然ですな」
 孟徳の嘆く声が聞こえる。
「しかり、しかり。漢朝を奪った王莽の治世の末期によう、似とりますわい。じゃがのう、悪人は悪人でも董卓より垢ぬけとる。董卓の首が城門にさらされる日が待ち遠しい。漢の高祖や光武帝のような英雄が現れてほしいものじゃ。それで孟徳殿よ、回復の策やいかに」
 孝廉の茲の声が歌うように尾を引く。あれでは嘆くと言うよりもむしろうれしそうに思える。きっと孝廉も孟徳も身を乗り出し、卓をたたいたり髭をひっぱったりと興奮しているに違いない。だれもが絶世の英雄を待ち望み、ここぞという人物に灯に引き寄せられる虫のように群がる。
 衣のほころびを繕いながら私は声高な二人のやりとりに聞き耳をたてていた。
「まず、董卓を殺して天下に謝罪し、廃された弘農王を再び天子と仰ぐことですな。董卓の息がかかった今上では人心をなだめることはできない。南匈奴は討伐だ。、国家がまとまれば南匈奴十万の兵など恐ろしくはない。あの部族を解体して絆をたちきってやればよい」
「孟徳殿よ、絆を断ち切るとはどういうことかな?」
単于の力を弱くするのさ。そのためには部族を小分けにして各々に長を置き、長の命令に従わせる。村落と村落の間はできるだけ離してやるさ、漢人にも監視させる。単于の命令よりも長の命令を優先するようにな」
「ふーむ。ちと、わかりづらいぞ、こりゃ」
「竹を縒って作った縄は船を曳いても切れぬ。まとまれば強大なものでもばらばらにして統治すれば弱いものですぞ。毒も薄めれば薬になるということです」
「なるほど、黄巾の余賊はどうする?」
「乱は鎮めねばなりませんぞ、国家の威信にかかわる……」
 二人の話はとどまるところを知らない。孝廉はもともと腐った世の中を変えたいと思っていたのであろう、兵を起こすために家財をなげうった。孟徳も手持ちの財宝を売った。中平六(189)年十二月、陳留の己吾(きご)で三十五歳の孟徳は生死を賭けた大博打にでた。義兵は五千と称した。実数はその数分の一、飯にありつくために絶えず人がやってきては出ていくので実数はつかめないが、ずいぶん水増ししたなと言われそうだが、それは誰もが知っていて、だれもがすることだから何の咎めも受けない。兵法にかかわる機密だそうだ。戦で敵の首をとったときも十倍くらい水増しして報告書をつくる。慣例なのだから、孟徳が法螺を吹いたのでもない。
 
 博労の李が軍門を訪ねてきた。
  
 
 続く。