妻を娶(めと)らば……諸葛孔明の場合

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写真は白帝城諸葛孔明
像は長江を睥睨している
下の写真は白帝城から望む長江


今風に言えば、諸葛孔明さんが「婚カツ」をした。
諸葛孔明荊州(けいしゅう。湖北省)にいた時のことだ。

劉備に、「諸葛孔明臥龍(がりゅう)です。はやく臣下になさいませ」と、熱心に推薦するものがいた。劉備は「三顧の礼」を尽くして孔明の重い腰をあげさせたばかりである。
おそらくその頃、孔明は妻を娶ろうと思いたったのではあるまいか。
あちらこちらに当たりをつけ、ああでもない、こうでもないと選り好みしていたらしいのだ。
噂を聞きつけた黄承彦(こうしょうげん)という男が、孔明を招いた。
この男は湖北省の、沔水(べんすい。べんは環境依存文字。眄の字の、目をサンズイに置き換えた字)の南に住む名士である。
招いたからには酒宴の一つや二つ、催したであろう。
承彦がいった。
「君は妻を選考中だとか」
「ええ」
「わしには容姿は自慢できぬ娘がおる。ちよっと年をとっていてのう、色は黒い。じゃがのう、娘の才気は君にひけはとらんぞ」
孔明の顔がぱっと輝く。
承彦の娘と対面した孔明は、そのまま娘を車に乗せて連れて帰った。

終生、連れ添う妻である。孔明は家を任せられる妻が欲しかったのだ。黙っていても心の内を察してくれる人が必要だったのだ。人生には良い時も悪い時もある。二人も孔明がいたら、どんなにか心強いことか。
孔明は「人を見る目がある」と評された人である。娘と言葉をかわしてみて、内なる魂の気高さを見抜いたのであろう。
しぶいネ。

孔明は身長八尺、長身である。
新から後漢(0~3世紀)一尺は23.04僂任△襦
三国魏の1尺は24.12僂任△襦
少なくみつもっても184.32僂任△襦r下椶世硲隠坑押ィ坑境僂任△襦


注:「臥龍」はやがて雲雨を得て天にのぼることから、英雄がまだ時を得ずに潜んでいることのたとえである。蜀の諸葛孔明の故事から出た言葉←以上、「諸橋の大漢和辞典」より

 

参考史料
三国志「蜀書」の注より