丁夫人の嘆き(曹操の後庭)三十六

          丁夫人の嘆き(曹操の後庭)三十六
 
 そのとき孟徳は陳留太守張邈(ちょうばく)に属する武将でしかなかった。鮑信は付和雷同する軽薄な男ではない。それだけにその言葉は重い。その場に居合わせた惇はわがことのように頬を紅潮させた。惇は従兄に惚れている。ほら、遊侠の間によくあるあれだ、男が男に惚れるという男伊達(おとこだて)である。孟徳にほれ込んだ男の横顔をわたしは目を細めて見た。
 「暴れ者と言ったな」
「ああ、それそれ、それじゃよ。孫堅という男のことだ。間諜(かんちょう)から知らせが入った。孫堅という男、名将朱儁(しゅしゅん)と同郷のよしみで黄巾平定のおりに抜擢をうけて従軍した」
「聞いたことがある」
「めざましい働きをして長沙の太守になった」
「うむ、長沙もまた賊が暴れまわっておるからのう」
袁術がこの男に目をつけ、配下にひきずりこもうと招いた」
「袁公路(術)め、魯陽(ろよう)で勢力拡大か、はよう雒陽に進め」
「雒陽に進むどころか南陽に退いた」
「なに、南陽だと」
 孟徳がまじまじと惇の顔をみる。
「はい。荊州の北の一隅にいたのがさらに荊州内部へと喰い込んだ」
「公路は雒陽攻めよりも荊州に食指をうごかしたな。南陽太守がよくも承知したものだな」
「文句をつけるまえに殺されましたわい」
「殺された!」
「はい。孫堅が掠奪しながら南陽についたときには衆は数万に膨れあがっており、太守に兵糧を請うたのですな。太守はこれを拒んだので殺されました。魯陽でこのことを袁術に報告すると術は南陽に行き、そこに居座った」
「あてにできないぞ、術の奴。奴は荊州を取るつもりだ」
「わしが術だったとしても、やはり荊州を押さえますな」
 ふたりは顔をみあわせ足早に本陣へ向かった。
 袁術袁紹を盟主に仰いだのは、時代の風を読んだまでのことで、内心では異腹の兄である紹を妬んでいた。紹に指図されることは自尊心が許さない。そこで彼は魯陽(河南省平頂山市魯山県)に軍を駐屯させていた。そこから猛者で知られた孫堅にわたりをつけた。二つ返事で孫堅は私兵を率いて北上した。この荒武者はめったやたらと武力に物言わせて掠奪のかぎりをつくし行軍したのである。思慮よりも腕っ節のほうが勝った男だ。術は堅を行征虜将軍、領豫州刺史に任命する。行は臨時の措置を意味していて、もちろん朝廷の正式の沙汰ではない。領はとりしまり、統べるという意味で、豫州刺史をとりしまることである。
 時の豫州刺史は義軍を挙げた孔伷である。伷といえば博学このうえもない名士で、聖人孔子の子孫である。それが呉の、人殺しと掠奪に励む成り上がり者に行動を監視されるとは、気分が悪いことこの上なしだ。豫州荊州と隣り合っていたから、おのれの動きをけん制されまいとしての処置である。董卓が任命した荊州刺史劉表は任地に赴くが、賊のために道が塞がっていて進めなかったのである。そこを袁術が衝いたのだ。
 
 そうこうするうちに弘農王(劉辯)がすでに薨去されたことを知った。山東で義兵が起こったことを知った董卓が、後顧の憂いを断つために毒殺したのだ。それが一月のことらしい。なにしろ道が塞がっていて都との連絡がとれない。
 董卓の意をうけ長安に遷都することになり二月十七日に天子は雒陽を出た。董卓だけは雒陽の畢圭苑の離宮にとどまっていた。
 
 続く