丁夫人の嘆き(曹操の後庭)三十八
丁夫人の嘆き(曹操の後庭)三十八
もどってきた博労たちの人数が倍に膨れ上がっている。
「おおっ。あれは」
夏侯惇が相好を崩す。
「お、おっ。子孝……生きとったか」
「生きとったかとはご挨拶じゃねぇか。おれはこの通り元気じゃ。元讓めが捜したぜ。行方をくらませたと思うたら、こんな所にいやがった」
子孝は豪快に笑う。
「来い」
元讓はかれらを引き連れて中軍へと馬を走らせる。
「おーい。曹将軍、曹将軍。夏侯元讓がもの申し上げる」
惇が大声で叫んだ。
行軍の鼓が止んで方陣が開いた。
方陣は方形の陣である。女子供や年寄りを護りながら進むには最適の陣だ。陣の中に弱い者を入れ、外側を壮者でかためている。衆は家族を引き連れているので、敵に遭遇した時、愛しいものを護るためによく戦う。
陣のなかほどから孟徳が現れた。
「おう、元讓。どうした?」
「将軍よ。曹子孝が兵千余人を率いて加勢に参りましたぞ。ご覧あれ。後ろの土煙を。兵千余人でござる」
夏侯惇はあたりに響けと、わざと大声で叫んだ。
どっとあたりがどよめいた。
子孝とは孟徳の従弟(いとこ)である曹仁の字だ。少年のころから家業をほったらかして狩猟にうつつをぬかす放蕩者だ。そのせいで弓馬の術は鍛えに鍛えた。世が太平ならば放蕩無頼のやっかいもので出来の良い弟、純の一生頭があがらなったはずだ。それにしても兵千余人をどこでどうかき集めたのだろうか。
「子孝よっ。兵千余人も集めよって、おまえって奴はやはり大物だな」
孟徳の目が輝く。
「孟兄いっ。やはり兄いはおれが睨んだ通りになったぜ」
悪党面をした騎馬武者が孟徳の数歩手前で馬を下りると、にやにや笑った。
「子孝よ、わしらの秋(とき)がきたのじゃよ」
孟徳がひらりと馬から降りた。どちらからともなく二人が抱き合っていた。
「兄さん、子孝兄さん」
人込みのなかから叫びをあげて若者が飛び出してきた。
「やっ。子和、子和じゃねぇか。生きとったのか、よかったよかった」
仁が目を丸くしてしげしげと若者をみる。
「兄さんこそどうしておられました。行方がわからなくて心配していたのですよ」
若者が目を潤ませ兄にむしゃぶりついた。
「こいつめ、こいつめ。都で仕官などしやがるから心配しとったわい。大勢殺されたというからてっきりおまえも……」
仁の言葉に若者は背を震わせなきじゃくりだした。
「泣くな。おれは湿っぽいのは苦手じゃ」
そのくせに仁は拳でごしごし瞼をこすっている。
続く
この続きは明日です。