丁夫人の嘆き(曹操の後庭)三十九

          丁夫人の嘆き(曹操の後庭)三十九
 
 この兄弟が同じ母から生まれたとは到底、信じがたい。無頼な仁(字は子孝)と慎み深くて学問好きの純(字は子和)とは水と油、純は兄を避けていた時期がある。純は十四歳のとき父を亡くし、それからというもの兄と別居した。兄のもとには悪少年たちが集うのでそれを嫌ったらしい。
 沛国譙(しょう)の曹氏一族は広大な田畑を持つ豪族である。曹仁は荘園の経営を他人任せにして狩猟にふけった。弟の純は十八歳で仕官するまで自ら荘園を営み、奴僕百人以上を統べていたが、少年ながらその采配は理にかなっていて周囲を驚かせた。その一方で学問所を作りみずから学問に励んだので、純のもとには学者や学問を志すものが集まった。
 十八歳で都に上がり黄門侍郎になったが、周知のごとく為政の腐敗と霊帝崩御董卓の乱を迎えた。都を抜けだして郷里への道をたどるうちに檻車で護送される孟徳をみてしまったのである。用心深い純は孟徳が釈放されても後をつけるだけで、中牟から遠く離れるまで孟徳の前に姿を現さなかった。孟徳が旗揚げすると、純は辻々で熱っぽく説いて義兵を募った。
 
 伝令が走り、軍は小休止に入った。
 「子和よ。おまえいい男になりよったのう。歳は……」
 仁がまぶしそうに純をみた。
「弱冠でございます」
「二十歳か。二年ぶりの再会じゃ。懐かしい故郷はのう、乱でみるかげものうなったぞ。曹の一門も散り散りじゃ、みなどこぞに避難してしもたわい」
 仁がため息をつく。
 曹仁の話によると、博労たちが譙城を通ったころはまだよかったが、都市が明けて袁紹たちが義兵を挙げたころには道が塞がり、くわえてお上の威光が失墜したのもあいまって、群盗や兵隊が荒らしまわったので、人々は治安が良いところへと逃げて行った。孟徳の家でも父と弟は一家を引き連れて泰山へと避難していった。
 仁は密かに少年たちと結託して千余人を集め、泗水(しすい)と淮水(わいすい)のあいだをさまよったが義兵の噂を聞いたので馳せ参じたのである。
 泗水と淮水のあいだを千余人を引き連れて彷徨うといったが、それでは群盗ではないか、言葉こそ飾っているが荒らしまわったということだろう。およその察しがついたらしい、孟徳は詮索もせずにこにこ笑っている。
 夏侯氏といい曹氏といい、なぜこうも桁外れな人物が集まるのだろう。血だ、血に違いない。この豪族たちは何代にも渡って婚姻を重ねてきた。それに譙の地は美しい山と川に恵まれた山紫水明の地である。朝な夕なに鬱々と龍の気が立ちこめる地だ、その気を吸って育った男たちは体内に茫洋としたものを育むものらしい。
 「兄さん」
 少年の叫びがわたしの夢想を遮った。みると子脩が子犬のように曹仁に飛びついている。
「子脩か。大きゅうなったのう。おまえ、弟が会いたがっている」
「子孝兄さん」
 子脩がうなだれた。
「弟を忘れたのではございません。中牟から襄邑を抜けて郷里にとってかえすつもりが、董卓を討つために酸棗に行くので……」
「なにを言うとる。弟はほら、おそこじゃ」
「えっ」
 子脩が目を丸くする。
 子脩のみならず、孟徳もわたしも仁の指差す方角に視線をむけた。遠目にも美しい女が幼子の手を曳いてたたずんでいた。卞娘だ。卞の左右に老若男女とりまぜて五人あまりが控えていた。卞娘と顔立ちが似ていたので卞の家族に違いない。
 子脩が走った。走って卞娘になにか言うと小さな弟を抱き上げてこちらに引き返してくる。その後に卞とその係累が続いた。
「小妻(わかづま)は、逃げもせずに孟兄いの迎えをひたすらに待っておった。おれの旗印をみて物影から飛んできたわい」
 仁がにいっと笑ってわたしと孟徳をちらちらとみる。
 ああ、この女もまた孟徳に惚れぬいている。わたしは孟徳を見た。孟徳は目を細めて子脩に抱かれたわが子を見ていた。そしてその背後の卞をいたわるように見た。この男、やりてで冷酷といわれているが、その甲(よろい)の下に柔らかい心の臓があって、傷つきやすいのだ。義理がたいところがこの人の急所にならねばよいが。ふたたびわたしは卞と向き合うはめになった。今度はその係累まで引き連れている。
 
続く。
次は月曜日くらいの更新です。そのまえに丁夫人の雑記載せられたらと思っています。