丁夫人の嘆き(曹操の後庭)雑記 十七

丁夫人の嘆き(曹操の後庭)雑記 十七
 
グーグルで見る襄陽城
  劉表が拠った襄陽城
 
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襄陽城は湖北省襄樊市の襄陽区にあります。
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いつの時代のものか不明ですが襄陽城です。
不明といったのは何度も戦で焼き討ちにあっているからです。
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ライトアップされた襄陽城
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城内にのこる昔の商店街です。清朝の建物かな?
 
劉備が、諸葛亮関羽が、劉表がいた襄陽城のあくまでもイメージとして参考にしてください。往時の城とはたぶん、規模も城郭も違うと思います。マニアックな興味をお持ちの方は、現地に行かれることをお勧めいたします。誠実なガイドさんにであれば、漢末の城あとを必死になって捜してくれます。
 
わたしのお宝写真を披露いたします。
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五胡十六国時代後趙の君主、石勒が生まれ育った山西省武郷の地です。
写真の中央上の道と並行して、あぜ道のような土手とポプラ並木が続いていますね。これが漢代の武郷城の後です。
 手前右の崖のような所は北魏の武郷県城です。城壁のあとがところどころに残っていました。
 さらに驚くべきことは、北魏の県城の左手前方(山西省名物のじゃがいも畑)のむこうの白いビニール掛けの小屋の左の、赤い山肌が、土壁のように見えますが、石勒の家だったところです。晋書の載記には「室」と書いてあったので、彼の家は建物かと思っていましたが、ああ、「ヤオトン」だったのかと気がついた次第です。
 城内には石勒が築いた「龍門」が崩れていたが残っていました。するとこの県城は晋代につくられ、北魏が修復したのだということがわかります。
 
 このように現地に行けば、新しい発見が待っています。このときのガイドさんは、いつも夕方の五時になるとそそくさと帰って行く。なんだろう、付き合いの悪い男だぞ。ところが、彼はそのあと必死になって大学の研究室や郷土史研究家のあいだをかけめぐり、捜してくれていたのですね。
 
 どうか皆さんも、マニアックに興味をお持ちになったときは、旅に出てみてください。