さくら幻想紀行  摩訶不思議の都 慶州 上

             さくら幻想紀行
             摩訶不思議の都 慶州 上
 
 桜が咲く頃になると、てくてくと歩き回りたくなる。何処かへ行きたくなる。
 こちらの桜が葉桜になった頃、韓国の慶州の桜は満開になる。新羅の古都慶州はそこかしこ瑞雲か花かと見まごうばかりの桜の波である。ソメイヨシノだそうだ、二万本の桜。戦禍に荒れた故郷を哀しんだ在日のかたが植えたそうだ。
 そのころわたしは『三国遺事』という本を読んでいた。『三国史記』を読んで類型的な書き方が鼻についていたので、『三国遺事』は面白かった。
 
延烏郎と細烏女
 新羅第八代の阿達羅王(在位154~ 183)の即位四年丁酉(157年)、東海(日本海)のほとりに延烏郎と細烏女という夫婦がいた。ある日、延烏は海に入り藻を採っていると忽然と大きな巌が現れた。延烏が巌に乗ると、巌は彼を乗せて日本に連れて行ってしまった。日本の人は彼をみてこれは非凡な人に違いないと思い、王に立てた。
  
  ※巌は一説に大魚だともいう。また、日本の帝紀には新羅人が王になった
   という記録がないので、大王ではなくどこかの辺邑の小王だろう。
 
 夫が戻ってこない。妻の細烏は心配して海に探しにいった。海辺で脱ぎ捨てられた夫のわらじをみつけた。巌をみつけ、彼女も巌に乗った。巌は彼女を乗せて日本に運んだ。こんどは巌に乗った女が漂着したので、かの国の人は驚き怪しみ、彼女のことを王に申し上げた。このようにして夫婦はめでたく再会し、細烏女は貴妃に立てられた。
 ところで新羅では日月が光を失った。
日者が王に申し上げた。「我が国に日月の精が降って住んでいたのですが、今、日本へと去ってしまいましたので、日月が光を失ったのでございます」と。
 新羅王は使者を日本に派遣して二人を捜させ、新羅に戻るように求めたが、延烏郎は「わたしがこの国に来たのは天がそうさせたからでしよう。どうして帰れましようか。わが妃が織った目の詰んだ綃(うすぎぬ)がありますから、これでもって天子祭ればよろしい」と答えた。
 使者は綃(うすぎぬ)をもって帰国すると王に奏上した。言われた通りに綃(うすぎぬ)を供えて天を祭ると日月はもとどおりに光を取り戻した。この綃(うすぎぬ)は王の庫(くら)に納められ、庫は貴妃庫と名付けられた。天を祭った地は迎日県というが、また都祈野とも呼ぶ。
 
 以上、三国遺事より拙訳です。※は本についていた注を訳しました。
 延烏郎が日本に行った年は、後漢桓帝の時代です。
 神話とも伝説ともつかぬ不思議な記述にわたしの慶州への思いは募ったのですが……。
 
続く
(長いの嫌われそうなのでいったん、切りますね)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ぜひとも新羅の古都、慶州へ行こう。