どうでもよいゴシップ三国志

          どうでもよいゴシップな三国志
  
 一、美女の成れの果ては鬼女
 
 建安五(200)年冬、袁紹官渡の戦い曹操に大敗して気がふさいでならなかった。そのまま病に伏し建安7年夏五月に世を去った。
 袁紹の後妻になった劉氏は美貌で有名だった。といっても人目を驚かせた美貌も年には勝てない。年には勝てないとはいったが建安七年は、袁紹が雒陽を逃れてから十二年目であるから、劉氏はまだ四十歳にもなっていなかったはずだ。推測だが三十五歳前後ではなかったかしら?墓誌を当たってみたが見つけ出せない。
 袁紹にはことのほか寵愛した妾が五人いた。
 その五人の愛妾たちは、袁紹が亡くなると劉氏に殺された。
 劉氏はあの世で愛妾たちが袁紹に惨い仕打ちを訴えるのを恐れた。亡鬼が祟ると信じでいたのである。そこで、この愛妾たちの髪をそり落とし、どこのだれだかわからないように顔に入れ墨を施した。もしも袁紹が化けて出て、劉氏を責めてもしらを切るつもりだったのですね。
 「それはたしかに御寵愛の者たちでしたか? お顔をよくごらんになりまして。きっと狐狸が悪さをしているのですわよ」、と。
 袁紹の息子の尚は愛妾たちの家族が仇をなすのを防ぐために、その家族を殺してしまった。
 げに恐ろしきものは嫉妬の心、美しい顔のなかに鬼が棲む。
 
 
 
           二、女の敵は女
 
 ため息がでるほど美しいけれど「おつむの程度は? ?」。なんて美女いるでしょ。美貌と言う強力な武器にめぐまれながら、お馬鹿さんだったので殺されてしまった美女がおりました。
 袁術が揚州刺史を自称したころである。
 術は州城に登って街を眺めていた。
 
 ※後漢では揚州刺史の治所は秣陵(江蘇南京市)ではなく寿春(安徽省六安市壽  県)に置かれていたと『漢官儀』にいう。しかし、周辺の勢力関係で移動があること を心得ておいてください。
 
 すると国を傾けるほどの美女が目にとまった。司隷の馮方という者の娘である。一家は騒乱を避けて揚州に避難していた。
 
 ※司隷とは司隷校尉の官をさすのか司隷校尉が治めていた雒陽周辺の地をさす のか今となっては不明。当時の人には判っていたらしいが。しかし、娘の無知とい うか、深窓育ちぶりから官位と解したほうがぴたっとくる。 
 
 一目ぼれした袁術は馮氏を後庭に納めた。馮氏の寵愛はひと方ならぬものがあった。術の後庭には美女が数百人もいた。美女数百人は馮氏のまえに顔色があせたのである。当然、彼女たちは馮氏を恨んだ。そこで一計を案じた。
「将軍の美人は志節がおありでしよう。いつも国を憂えて嘆いていらっしゃれば、美人への尊敬の念が湧いて寵愛は長く衰えませんわよ」
 そう、後庭の女たちは吹き込んだ。
 馮氏は袁術の寝所にはいるといつも国の行く末を嘆いてみせ、よよ、よっと泣き崩れる。おお、これはまことに気概ある女じゃと感心した袁術は、ますます馮氏を寵愛した。絵になる美女は嘆く姿さえも男心をそそったのだろう。
 泣き言ばかりでは陰気臭くて寵愛も冷めるとほくそ笑んでいた美姫たちはすっかりあてが外れた。でも、我慢ならない、馮氏の存在が。
 ある日、みんなでよってたかって馮氏を絞め殺し、自殺を装って厠の梁にぶら下げた。知らせをうけた術は、
「おお、あれはいつも国を憂えて嘆き悲しんでいたが、悲しみが高じてついに死んでしまったか」
 と、嘆きはしたが、死因を疑わなかったという。馮氏の死を悼んで手厚く葬ったという。
 お馬鹿な馮氏は安易に他人の言葉を信じたためにやすやすと奸計にはまったのだ。最終的に責任をとるのは己である、自分の頭でよく考えて行動しましようね。